妻を想いつつ、日本一周
「お待たせしました。たっちゃん、どうぞ!」
トコトコトコと、足取りも軽く、黒パグのたっちゃんがムッシュにを引っ張るように診察室に入って来ました。いつものように椅子にぴょんと飛び乗ったところで、ムッシュが抱えて診察台へ上げます。ブフブフブフと、忙しそうな息づかいで、テーブルの四隅を嗅ぎまわります。
「今日は、狂犬病ワクチンをお願いします。」
「はい、一緒に耳もチェックしましょうか?」
ムッシュの最愛の奥様が、頭に腫瘍ができ、数年の闘病の後一年ほど前に亡くなられていたのです。しばらくお見かけしない日々があり、みんなで心配していましたが、この頃はまた耳の治療で通院されるようになっています。
「先生、私はもう少ししたら、こいつと一緒に日本一周をしてみようかと思うとるんです。」
「へえ、日本一周!? いいですねえ、キャンピングカーにでも乗ってですか?」
「いいえ、普通の車ですが、ペット同伴可の宿を使ったり、車で寝たりしてもいいと思ってるんですよ。山口から日本海を周って海沿いを走り、東京みたいなところは素通りしてね、四国ではお遍路さんの道を行こうかと・・・」
「ふむふむ、ゆっくりい進めますね。いろんな見どころがあるでしょうね!」
「ええ、実は私は家内を、どこにも連れて行ってあげんやったから・・・。
一度、呼子には行きましたが、その時『おい、何を食べようか?』と、聞いた時、家内は『何でもいいよ。うどんでもいいが。』って言ったので、通りかかったふつうのうどん屋に入ったんです。」
「うーむ、・・・・・」
「せっかく呼子まで行ったのに、イカぐらい食べさせてやったら良かったと、今にして考えるんですよ・・・」
「そうですか・・・、せっかく呼子に行ったからですね・・・。」
「ええ、・・・それで、家内を連れて行ってあげられなかった分、これからはこいつと旅して周ろうかと・・・。その話をしたら、娘が、それならこの道からどこそこへ入ったらいいとか、コースを調べてくれましてね。」
ムッシュがぽつりぽつりと話されるのを聞いていると、奥さんの遺影を助手席に、たっちゃんが窓から顔を出し、夕焼けの日本海を走る情景が目に浮かぶようでした。
「さあ、たつ、帰ろうか!」
ワクチンも無事終了、黒一色のたっちゃんは、短いしっぽをふりふりお父さんと帰って行ったのです。