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聖ノア通信 - 当病院の日々の出来事、ペットにまつわる色々な話をつづります -

ジャワ訪問

「昔はよく旅行も行ったんだけどね、この子達が家に来てから、心配で出られなくなっちゃった。」

マダムAがそう言われた。

マダムのうちには、猫が二匹いる。そのうちの一匹はある日突然下半身が不随になって、それから9年ずっと上半身だけで動き回って元気にしている。

マダムはそんな猫たちが心配で、旅行などでおちおち家を空けられないのだろう。

「昔は毎年のように、海外にも行ったのですよ。フフフ・・・
アメリカもヨーロッパも。そうねえ、一番いいなあって思ったのは、カナダかしら。

ハワイもいいけど、私はカナダが素晴らしかったわ。

でもね、一番思い出深いのは、ジャワ旅行なんですよ。」

「へえ、インドネシアですか?」

「ええ、私の父がね、戦前から戦後にかけてジャワに暮らしていたの。当時ゴムの農園があったらしいのね。それで日本企業が進出していて、日本人も沢山いて、その付近には日本人向けの幼稚園や学校や病院や、日本人専用の公園もあったのよ。

それで父はそこで教員をしていたらしいの。父が生きている時にそんな話を良くしてくれたのよ。

『お父さん、私がいつか連れて行ってあげるわよ』って、そう言ってたんだけど、その頃私も子育ての真っ最中で、とうとう父を連れて行けなかったの。

でね、そんな話を思い出して、ある年ジャワに行こうと思ったのよ。もう、20年くらい前の話しよ、それは。

そしたらね、向こうで『ジャワに行くのか?行ったら生きて帰れんぞ』っておどされたけど、良いガイドさん付けてもらって行ったわけ。

プロペラ機に乗って、それからタクシーで行こうということになったけど、バンのすごい古い車でね、現地の人はみんな裸足でしたね。

リュックに父の写真を入れて、『お父さん来たわよ』って言いながら父から聞いた話をたどって行ったら、本当に聞かされてた通りに建物が残り、大きな木があってね、まだ父の事を知っている人たちが二人生きておられたの。
それで話しが出来てよかったですけどね。

でも現地の人々がみんな裸で裸足で暮らしてたのが、びっくりしたの。

それからガイドさんが付近で一番いいレストランに案内してくれるということになったので行ってみたら、床下には泥水が流れているし、隣の家の窓からは子供がオシッコしたりしてて、もう食べるどころじゃなかったわ、フフフ・・・。

もう20年前の話だけど、本当に大変な所だったわね、でも私たちには何も危害はなかったわよ。

そこに行って、父親の気持ちが少しわかった気がして、(ああ、やっぱり行ってよかったわ)・・・って思いました。」

マダムの話は、そこで終わりました。

お父さんから行ってくれと頼まれたわけではないのに、遠い南方の島、ジャワまで訪れて見たいと思ったのは、マダムの心の中に生きる父親の思い出が彼女を動かしたのでしょうか・・・。

人が生きた足跡を辿る作業は、それをする者に必ず何かを伝えてくれるのでしょう。
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