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聖ノア通信 - 当病院の日々の出来事、ペットにまつわる色々な話をつづります -

暗渠(あんきょ)に落ちた携帯 (その1)

当院には、動物看護の専門学校から時々実習生が来ます。
テレビで入梅をアナウンスする予報に違え、曇り空が続いたその週も、一人の女の子が実習に来ていました。

さて、二日目の昼休みの事です。
病院裏の用水路で彼女は休憩していたようですが、「よいしょ」と、立ち上がろうとした時でした。

  (ぽろり・・カチャチャ・・・ボッチャ・・・)

「ああっ!!・・・アーー!」

彼女は胸のポケットに入れていた携帯電話を落としてしまいます。「しまった!」と思う間も無く、携帯は暗渠(あんきょ)となっている農業用水路のコンクリートの蓋の上を滑ったと思うと、見ている次の瞬間に小さな隙間から用水路へポチャッと落ちたのでした。

「ゲゲー! どうしよう!? 大変だわ・・・」

実習生は動転します。とっさに隙間に細い手を差し込みコンクリートの蓋を持ち上げようとしました。
しかし、びくともしません。それは無理でしょう。
なにしろ縦159cm、横50cm、厚み16cmの重いコンクリートの蓋です。百数十kgあるでしょう。それらが左右互いに密着しており、おそらくプロレスラーでも持ち上がらないと推察されました。

「わあー、どうしよう・・・」

田植えも始まった所であり、空梅雨が幸いし、用水路にはほとんど水が流れていませんでした。

彼女は地面に伏せて手をつき、隙間から目を凝らして暗渠を覗きます。1mほど下の泥底に、携帯が鈍く光っているのが見えました。

「わあ、ある。あんなとこにある。」

蒼くなった実習生は病院に駆け戻ると、スタッフに助けを求めたのでした。

「すみません。用水路に携帯落としちゃったんです!」

人間、人生に何度かパニックに陥る瞬間があるでしょうけど、おそらくその時の彼女はまさにそれだったでしょう。

携帯は通信と情報と記録の集約です。失うわけにはいかない。
なんとしても、大切な携帯電話を取り戻さなければならない、しかし無情に横たわる重いコンクリートの蓋が、彼女の願いを完全に塞いでいるのです。

絶対に拾い上げなくちゃという彼女のあせる目と、けれど不安に揺さぶられている様子が、表情に交差して現われていました。

「えっ?携帯を落とした? どこどこ? どこで落としたの?」

さてこんな時、最も頼りになるのは、我等がマル子先輩です。

彼女とは十年の付き合いになりますが、その小さな体にもかかわらずマル子は、苦境の時や難しくて解決策が無さそうな時ほど、どうやら負けん気がむくむくともたげて来る性格なのです。

普段の仕事が上手にできてるかどうかは微妙ですが・・・、しかし危険な動物がやってきた時と、このような困難な問題と直面した時は彼女の出番です。

「ねえ、どこで落としたの? えっ!暗渠に落ちちゃったの?」

実習生に導かれて、マル子は鼻息荒く裏口からパタパタと駆け出しました。

       (次回へ続く)
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