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聖ノア通信 - 当病院の日々の出来事、ペットにまつわる色々な話をつづります -

ハンナ

「あっ、こいつ生意気に、牙を剥いてうなるぞ!」

白い子犬は、帰宅した私がリビングに入り優しく彼女の体を撫でた途端、目を吊り上げて怒った。そしてグワッと私の手に咬みついてきた。
それがゴールデンレトリバーのハンナが我が家に初めて来た日の、最初の彼女の行動でした。

ハンナはイギリス系ゴールデン特有のまっ白い毛色をした犬でした。生後40日で体重は約5kg。まだやっと乳離れしたかどうかの時期です。普通なら、「くんくん」鳴いて悲しそうな、心細そうな仕草をみせる時期なのですが、彼女は違っていました。

リビングで我が物顔で自由に振舞います。ちょっとでも余計な事をすれば容赦はしないぞという目つきです。

「おやおや、これはジョイやサリーとはだいぶ違うぞ・・・」

私は瞬時に頭を切り替えました。ラブラドールの先輩達は、最初から愛想が良くて、甘えん坊で、『遊んでよ、かまってよ!』と尾を振ってまとわりつきました。

ところがハンナときたら、好きに振舞うのがまず一番のようです。

しばらくあやしてみましたが、はすに構えた目で睨んだかと思うと、小さな乳歯で咬みついてきます。

「ウー・・・、ガウガウ!・・・」

「痛ててて・・・お前、本気咬みしてるな!」

こうなったら、私も負けるわけにいきません。
長く暮らしていく為には、最初が肝心です。
もし最初に失敗したらその後がどんなに大変かは、すでに結婚生活でしみじみ学習しましたから、今度ばかりは負けるわけにはいきません。

「このやろう、俺だって咬みつくぞ!」

私はハンナを組み伏せて、鼻づらに咬みつきました。

「どうだ、まいったか!?」

しかしハンナは、仰向けになり黙ってじっと耐えます。30秒でしょうか、40秒でしょうか、彼女が黙ったままなので、もういい加減わかってくれただろうかと口を放すと、瞬間にガウガウと子犬とは思えぬすごい形相で反撃してきました。

「うわあ・・・、こんな強情な子犬も珍しいなあ・・・」

どうかしたら野生の血が濃いタイプは、人に慣れにくい事があります。勿論純血種だと、基本的にはそんなばらつきはないはずですが・・・。

(やれやれ、困ったぞ。・・・・・)

しかしもう一度彼女が咬みかかって来た時、私も意を決心し彼女の鼻先を掴んで押し倒し、先ほどよりずっと強く、ガブリと咬みついてみました。
今度は鳴くまで放さないぞと決め、ジタバタする手足も押さえたままギリギリ咬みつくと、とうとう降参をしてくれました。

「・・・・・・キャンキャン・・・・キャンキャン・・・・」

ちょっと過激かな?と、思われる方もいるかもしれません。
しかし激しく叱ったのは、生涯それ一回きりでした。
それ以来ハンナはずっと私になついてくれました。
そして15年間、二度と同じことを繰り返す必要はありませんでした。

言えば何でも解ってくれました。但し、その言いつけを守れるかどうかは別ですが。
でもそれは私たち人間だって、学校で先生のおっしゃる事はわかっても、言いつけを守れるかどうかは別でしたからね・・・。

獣医に飼われた犬の宿命で、伝染病で死にかけた犬を助けるため、何度も献血の志願をさせられ?ました。ハンナの血は、抗体と生命力に溢れており、もうだめかなと思われる子犬を何度も助けてくれたのです。
クッキーちゃん、ジャブちゃん、ポメちゃん、ベルちゃん、キュンちゃん、サラちゃん、ルナちゃん、ココアちゃん、
彼女のカルテには、供血した子犬達の名前が残されています。

自宅では他の犬たちとちょっと別の行動様式を示し、最後まで自分優先の欲求態度を見せました。
そして顔を撫でて上げると、頬を緩めてニヤリと笑い顔のような表情を作る不思議な犬でもありました。

そんな我が家のお姫様のハンナも年をとり、この七月ロマンチックに晴れた七夕の星空の夜に呼吸が荒くなります。翌朝は持ち直して安心したころ、掃除をしていた妻がふと見るとひっそり旅立っていました。
15歳と4ヵ月でした。

少しも十分な事をしてやれませんでしたが、たくさんの事を私たちに教えてくれた彼女でした。
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