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聖ノア通信 - 当病院の日々の出来事、ペットにまつわる色々な話をつづります -

ロクの冒険(その4)

ロクが当院に来たのは、その翌日のことでした。

「先生、そういうわけで昨日大変だったんですよ。救急の先生から『明日は必ず近所の病院で診てもらいなさい』と言われたので連れて来ました。

でも、とっても元気がないんです。家で見ていたらぐったりして動かないし、何も食べないし・・・。」

と、マダムは言われるが、痛みの為だろうか。診察台に上がったロクは逃げ出そうとしてか血気盛んに見える。うっかり油断できない。

「あの・・・マダム、これで元気がないと言われるのでしたら、普段は相当暴れるんですね。」

「はい、・・・いえ、自宅に居た時はもっとぐったりしていたんですが・・・。」

知らない人が嫌いな柴犬は多い。ロクもそうなのだろう。

それにしても左の前足は無残に腫れあがり、その皮膚は薄く赤紫と化し、ちょっとでも触ると破れそうなくらいだ。

きっと咬まれた所だろう、手首の付近にちょっとした穴が3ヵ所。四本の牙のうち三本だけが貫いたのか・・・。そこを出発点として肩に向って皮膚が変色し腫れあがる、そしてあちこちから薄い血液が滲み出て滴り落ちている。

「わあ! 昨日より腫れている。昨日はこんなになってなかった。わわわわ・・・先生、大丈夫でしょうか?」

マダムの顔がゆがむ。

消毒しようとしたらロクは大騒ぎ、殺されそうに悲鳴をあげる。

「おい、おい、まだ触ってないだろ、まだ何もしてないぞ。ほら、今触ったのは右手じゃないか。大丈夫だよ・・・」

マダムが申し訳なさそうに、そして心配そうに目を注ぐ。

私達は膨らんでパンパンの腕の全体に軟膏を塗り、滅菌ガーゼをかぶせて優しくテーピングする。そして反対側の右前足に点滴のために留置針をつけて入院室へ移動、点滴を始めた。

「さあ、ここで休んでいなさい。」

なるほど、あれだけ騒いでいたロクが、ケージに入れられたら疲れが出たようにごろりと横たわり、黙って目を閉じた。

その後交代してわたし達が見に行くと、時々けだるそうに薄目を開けることもあるが、気がつかずに眠り込んでいることも多い。たしかにぐったりしている。

「普通は犬はマムシの毒に結構強いから、急に腫れあがっても三日くらいで治まる事が多いのだけどなあ、こんなに前足全体がぶよぶよになって自潰するのはよっぽどの毒かなあ・・・」

ロクを見ながら私がつぶやくと、
突然ロクが、こっちを向いてしゃべる。

「そうなんだよ! 昨日の夜、散歩ちゅうさ。変な気配がしたんで草むらに飛び込んだんだ。そしたら向こう側へシュルシュルと逃げていく奴を見つけて俺は追いかけたんだけどね、ところが赤土の切り立つ崖の所にマムシの王様かと思うような大きな奴がいたんだよ、

(うへえ! こいつはすげえ!)

思わず急ブレーキさ。
ったく、そいつの目は溶岩みたいに赤く燃え、カッと裂けた大きな口から、サーベルのように鋭い牙が二本、不気味に光ってたんだ。

瞬間(やべえ)・・・って思ったけどね。

だけど俺だって今までこの辺りで10年間、いつだって尻尾をピンと立てて歩いてきたんだ。相手がマムシの王様だろうがツチノコだろうがそう簡単には引き下がれねえさ。

『おい、この辺りは俺様の散歩コースだ。お前みたいなのがウロウロしてると目障りだ、とっとと消えやがれ!』

そう言ってやったんだがね、ヒモ野郎は

『ククク・・・、お前さん知らないのかい? お母ちゃんに教えてもらわなかったのかい? この辺りはね、昔から「マムシ谷」って呼ばれてるんだよ。

だから地の者でさえ、あまり踏み込まない山さ。
夏になると俺たち一族が集まって祭りをし、大きな牙を競い合い、何人に咬みついたか自慢しあうからね。
そして秋風が吹く頃またみんな帰っていく・・・。

ほうら、後ろから危険が近づいているぞ、気をつけな、尻尾を巻いて退散しないといけないのは、お前さんのほうだぞ!』

俺が覚えてるのはそこまでさ。
後ろに注意しろって言われて、つい注意を後ろに回したのがいけなかったんだ。

こっそり足もとまで近づいていた真っ黒いマムシに、左前足を見事に咬まれてね。瞬間激痛が走り、ポーンと飛び上がったんだけど、着地したらもう左足がいけねえ。

すぐ頭がクラクラしてきた。
ヘビてのはなんであんなに汚いやり方なんだ。転げまわるように痛いし、目もなんだか視野が狭くなってきた感じで、

(・・・こいつはいけねえ)と、慌てて引き上げたんだが、飼主の所に戻るのがやっとで、あとはもう何がなんだかわからなくてよ、このざまだ。」

点滴を受けながら、ロクが話してくれたのは、大方そういう内容だった。

「しくじったな、お前。まあいいさ、そうか、マダムも言ってたぞ、マムシ谷って本当に昔から言われてるそうだぞ。

だけど、日本犬なら・・・これくらいじゃ死なないはずだから、暫らくおとなしくしてろ。
今日から当分、入院だよ。」

こうしてロクの傷がなんとか塞がるまで、それから十日間ほどかかったのです。
この夏の、柴犬ロクの冒険談でした。
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