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聖ノア通信 - 当病院の日々の出来事、ペットにまつわる色々な話をつづります -

余計なことを言わんでも

犬の病気で一番多いのは、外耳炎だそうです。当院でも、外耳炎は毎日のように診察しています。

その日も朝から、きれいなアイリッシュセッターが、耳の治療に来ました。

「先生、耳から汁が出ているので、診て下さい。」

ムッシュ&マダムO夫妻が大事にしている、毛並みの見事な女の子です。

「どれどれ、アリスちゃん、耳を診せてくれるかな?・・・」

右の長い耳介をめくると、耳の穴周辺は茶色に変色し、べとべとの滲出液が付着していました。

「あらら、これは重症だね、痒かっただろうね。」

私は耳道のシャンプー剤を耳に少量流し込むと、耳の根っこをクチュクチュ丁寧にもみながら、薬が耳全体に行き渡るのを待ちます。

すぐに耳道に赤茶色の汚れが浮き上がってきます。それを拭い取りながら、繰り返し耳の穴を洗浄していました。

「これは重症ですね。ムッシュ、お家で、アリスちゃんの耳に薬を毎日入れていただけますか?」

「はい、大丈夫です。」と、ムッシュ。

と、その時マダムが聞きました。

「先生、耳の中も家で掃除した方がいいですか?」

「耳の穴の中ですか?」

「はい、うちの主人たら、綺麗にすると言って鉛筆にティッシュ巻いて奥の方までゴリゴリするので・・・。」

「むむ、いや、そんなに強くはしとらんぞ。」

「だって、あなた・・・・」

「そんな余計なことお前、ここでいちいち言わんでも・・・」

「あ、ははは・・・、あの、家では目で見える範囲を、拭ってあげるくらいにして、耳の出口附近だけ、お掃除してください。」

いつも仲の良いご夫妻が、この日も仲良く言い合います。聞いてる私たちはクスクス笑いながら、眺めています。

動物病院に、いつもお二人で犬を連れて来られるマダムとムッシュは、大抵仲の良いご夫妻です。
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見かけも大事

「・・・あ、それとですね、先生、ついでに診てもらいたいんですが、ヴィーナがこの頃よく頭を掻くんですよ。え? うーん、・・・だいたい首の辺り、頭の後ろ附近です。」

ボーダーコリーのヴィーナちゃんが混合ワクチンに来ました。私は一般健康状態を調べた後ワクチンを打ち、痒みの原因を調べるため周辺の皮膚を調べ、外耳道を覗きました。

少し赤くなった耳の中に綿棒を入れると、中から茶色の汚れがたくさん出てきました。

「ははあ、おそらく、この外耳炎が痒みの原因でしょう。マダム、今から滲出物を除去して薬を入れますから、ヴィーナちゃんの頭が動かないよう、持っていてもらえますか?」

「はい、こういう持ち方でいいですか?」

「ええ、それで持っていてください。」

・・・・・・・・・

「ヴィーナちゃんじっとしといてね。私、手が疲れてきたわ。」

ものの3分もたたないうちに、マダムは手がだるくなったようです。

「おやおや、マダム、もう手が疲れましたか?これぐらいで疲れてたら、被写体を狙って、何時間もカメラを構えることができないんじゃないですか?」

実はマダムはプロのカメラウーマンと聞いていたので、つっこんでみた。

「ハハハ・・・、いえいえ、そこはプロですから、カメラを持てば違いますよ。いくらでも頑張れるんです。それに私は三脚を使いますから、ハハハ・・・」

「なるほど・・・、でも最近はデジタルだから、昔よりだいぶカメラは軽くなったでしょうね?」

「そうですよ、随分軽くなりました。だけどね、性能は勿論ですが、重くてもわざと大きなカメラを使うんです。だって、どんなに機能が優れていても、素人と同じ小さなカメラだと、プロらしく見えないでしょ。

(なんだ、俺らの持ってるカメラと変らないじゃないか。)と思われたら癪ですから。

(さすがプロだ、道具が違う)・・・そう思ってもらうのも大事なんですよ。
やはり見た目も、大事にしないとですね、ハハハ・・・。」

うーん、なるほどと思いました。

いえ、誤解しないで頂きたいのですが、これは決して見掛け倒しを良しとする趣旨の会話ではないのです。
プロならば、心構えは全ての方面で油断なく、まんべんなく怠らないようにという教えと、私は理解しました。

コックさんはなぜか大きな白い帽子をかぶります。
オーケストラの指揮者も、菜箸で代用せず、それらしい指揮棒を使います。
お坊さんも、ジャージーで来てお経を上げられたら、ありがたみが無くなる様な気がします。

プロなら、プロの気構えを抜かりなく。

・・・やっぱり、見かけも大事だということですよね!
  
うーむ、アロハシャツ着ているどこかの獣医さんに教えてやらないと・・・
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「おや、先生もO社の時計してるんですね。」

薬の卸しやさん、ムッシュKが来られた時です。薬の受け取り書にサインをしていたら、ムッシュがなんだか懐かしそうにそう言われました。

「はい、これももう、古いんですけどね。」

「いやあ、実は僕も二十歳の頃、無性にある腕時計が欲しくて、学生なのに十か月ローンを組んで買ったことがあります。

あの当時で月々二、三万払ってですね。」

「へー、それは学生には偉く高い買い物ですね。どうしてそんなものが欲しかったんですか?」

「いやあ、何ででしょうね? その時は欲しかったんでしょうね。」

たしかに人生にはそういう時があります。それに目が行って、いつも思い浮かべて、すごく欲しくなることがあるんです。
ずっと後になって考えれば、どうしてあんなに欲しかったのかわからないのですが、きっとその時はそうなのでしょう。

私も二十歳の頃、水色のGシャツが欲しくて、宮崎のスーパー壽屋の衣料品売り場でそのシャツを手に持ちながら、買うか買わないか長く迷っていたことを思い出します。

それほど高くはなかったと思うのですが、学生であり食費を節約しながらの生活でしたから。

「いやあ、たしかに僕は実はお金の管理が上手じゃないんですよ。」

ムッシュが苦笑いしながら話を続ける。

「結婚して2年目だったかな?へへ・・・、借金してたのが妻にばれちゃってですね。」

「むむ、それは聞き捨てなりませんね、なんか、悪いことしてましたか!?」

「ハハハ・・・、あの、実はスロットをしてたことがあって・・・。いえいえ、今はもう止めましたけどね。

ウン十万作っちゃって、で、それまでは給料の中から僕が妻に生活費を渡していたんですが、借金がばれてからは給料は妻が管理して、僕がお小遣いをもらうようになったんです。

『はい、お小遣いよ』ってもらうのは、どうもが引っかかるんですが、アハハ、でもそれで良かったんです。あのままだったら、今頃、どうなっていたか・・・。

もう、しませんので、はい。」

まだ若いムッシュは、私が聞きもしないことを、自分でたくさん話して帰っていかれました。

若いときには色々あります。
失敗のない人生なんて、ないですよね。

失敗が教訓になれば、それでいいんですよね。


「悟りのある者を一度責めることは、
 愚かな者を百度むち打つよりもききめがある。」
               箴言17:10
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どんどん防虫

「おや、カメ子、唇にチョコのかけらみたいなのが付いてるよ!」

お茶の時間です。先ほどチョコレートケーキを食べていたカメ子の口元に小さな茶色の点が見えました。

「え!? どこですか?ここですか?・・・・・」

カメ子は慌てて口元をぬぐいながら、エヘヘという顔をして、すぐ話し始めた。

「えーっと、ああそう言えば、先生、私この前ですね、自転車こいで出勤してた時なんですが、何かが顔にぷちんとぶつかった気がしたんです。

(あれ、何だろう? 虫かな?)

と、思ったんですが、急いでましたから、(いいや、後で見よう)と思って、結局そのまま忘れてしまい仕事に取りかかったんです。

それでお昼になった頃、何気なく鏡を見た時、唇と口の中の境目辺りにとっても小さなブヨみたいな虫が付いていたんです。

(あっ、そうだ、忘れてた、何か顔に当たった気がしたけど、この虫だったのか!)

と、気がついたんです。私、あの時、舌なめずりしなくて良かったなあ、虫を食べてしまう所だったと思いました。

私、あの日『グロス』って言う口紅をしてたんですが、グロスはべたべたして何でも張り付くから、気をつけたほうがいいみたいですよ。」

せっかくカメ子からご忠告いただいたが、私にはあいにくグロスを塗る予定はありません。

それにしてもカメ子の顔は、高速道路を走る車のフロントガラス並みに虫と衝突があるようです。

これからは朝は時々、カメ子の唇の、「走る虫取り紙」をチェックしようと思う。
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寝たきりで

「その節はお世話になりました。」

明るい顔をして、マダムKがおいでになりました。

「ああ、お久し振りです。その後はどうですか?」

すっかり忘れていたが、それは中型犬のジュンちゃんのお母さんでした。

・・・・・・・・・・・・

それはしばらく前のこと、当院にジュンちゃんが担ぎ込まれた来たのは、三月の25日夜中の12時半頃でした。

所用のためしばらく遠く高知まで出かけていたマダムでしたが、その日夜遅く帰宅すると、人にお願いしていたジュンちゃんの具合が良くないのに気がつきました。

いつもは歩けてたのに立ち上がれなくなり、息づかいも荒いのです。

年齢は16歳、超高齢ですが、秋田犬の血が混じり体重は20kg近くあります。

(どうしましょう・・・、こんな夜中に、どうしたらいいかしら・・・)

マダムもご年配で一人暮らしです。途方にくれて考えあぐねていると、ふと思い出しました。

(こんな時頼めるのは、あの先生しかいないわ。)

もう夜の11時を回っていましたが、マダムは決心をするとすぐ、以前お世話になったドッグスクールの先生宅に電話を入れます。

「もしもし、ドッグスクールの先生ですか?夜中にすみません。ジュンちゃんの様子が悪いのだけど、とても動かせなくて・・・・・」

ジュンちゃんは若き頃、テレビのコマーシャルにも出たことのあるタレント犬です。その時もドッグスクールの先生にお願いしました。

海風に吹かれてじっと岸壁に佇み、水平線を眺める、飄々とした渋い役を果たしましたが、電話をかけながらマダムは、ジュンちゃんのかつてのそんな姿を思い出しました。

ドッグスクールの先生はすぐ車を出し、ジュンちゃんを乗せると当院に連れて来られました。
それから2週間ほど入院治療を受けて、容態が落ち着き、食欲も出た後はドッグスクールでリハビリ介護を受けることになったのです。

それから半年弱、9月も下旬になって久し振りにマダムがお出でくださったのです。

「その節はお世話になりました。ジュンはあれからずっと寝たっきりで、立てないままでした。向こうの先生がジュンの車椅子を作ってくれて、歩行訓練をしてくれました。

私も毎日会いに行きました。

8月に入って暑い中、体があまり動かなくなり、今月から食欲が衰えてきました。

最後の土、日は異常に食べたのですが、月、火とずっと眠り込んで、水曜日の朝に亡くなりました。
精一杯やったので、今回はあまり涙も出ず、悲しいというより、晴々とした気持ちです。

ありがとうございました。」

マダムはわざわざお出で下さり、丁寧なご挨拶を頂いたのです。

それにしてもと、わたしは驚嘆しました。

私たちはあれからジュンちゃんの世話に関わりませんでしたが、スクールの先生夫妻やスタッフの皆さんは、食べることから下の世話、褥瘡の管理まで半年近く、ずっと支え続けてこられたことを聞き、感心しました。

どんなにか、大変だったでしょうか。よくなされたなあと思います。

弱い生き物を大切に出来る社会は、優しい社会です。

そして、一頭の犬にこれほど十分な世話が出来るなら、

同時に一人の高齢者に、十分な幸せが用意できる空気が、世の中に整ってほしい。

そんなことも、思い巡らし願ったのでした。
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注意散漫

「あやや、何だ! こ、これはっ!」

夕方の時間でした。混み合っていた患者さんが帰り、ごたごたしていたカウンターが静かになった時です。

ふと、事務室で私が振り返った時、床にぺたぺたウンチの踏み跡があるのに気がつきました。

「うわあ、大変だ! 誰かウンチを踏んだまま、歩き回っている奴がいるぞ!?」

私は思わず大声をあげました。
その声を聞いてタマエとカメ子が寄って来て、同時に驚きます。

「え?どうしたんですか? わっ! ウンチだ!ウンチが事務室中を歩いてる!」」

事務室の狭い床が、汚れまくっています。

(まったく、勘弁してくれよ。自分の足元ぐらい見て歩きなさいよ、注意散漫な奴ばっかりなんだから・・・・ウンチを踏んだら、普通は気がつくだろうに・・・)

私はそんなことをブツブツと頭の中で思いながら、果たしてその足跡がどこから来ているかをたどります。

そのウンチの足跡は診察室に向かっており、エコー検査機の向こう、診察台の手前にはボトリと中ぐらいの茶色のウンチが踏まれて落ちていました。
なんと、それは診察中にいつも私が立っている場所です。

「あちゃー、これが原因か!・・・それじゃあ、まさか僕が踏んだのだろうか?」

私は信じられない思いに駆られます。そして恐る恐る最初に左足のサンダルを脱いで引っくり返してみました。するとそのかかとの辺りに、見事に茶色のものがべっとりついて、飾られているのです。

「う!・・・これは、私としたことが、・・何という失態だ。本当に私が犯人か。・・・さてはさっきの中型犬のピン子ちゃんだ。体重を量るだけだったんだけど、載ってもらったけど怖がって診察台から飛び降りてしまった時だ。

きっとあの瞬間、ピン子ちゃんが空中で脱糞したんだ。そして私が抑えようと慌てて左足を一歩踏み出した瞬間と、ウンチが床に落下した瞬間が同時だったんだな・・・」

私は推論した状況をわざと声に出して分析しながら、なんとか自分の失敗を言い繕おうとしたが、誰も聞いていない。

すでに二人のスタッフは、バタバタ動き回っている。

「早く早く、ウエットティッシュで拭いて、それから水拭きね。タマエさんは、水拭きをお願いするわ。」

カメ子が指示し、手際よく診察室から事務室にかけて掃除している間、私はけんけんをしながら片足で流しに立ち、しょんぼりサンダルを洗っていた。

(まったく、私も年をとったかな。普通、ウンチを踏んだら、気がつくはずなんだがなあ・・・)

しかしあちこち忙しそうに拭き続ける二人は、文句も言わずに黙って片付けてくれています。
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やり直し

人生には時として思いがけない嵐が襲いかかる事がある。

それはうら若き乙女の、平穏に過ごしている一日にも、容赦なく降りかかるのである。

その日カメ子は、休みを利用して歯医者に行った。

「先生、先日入れてもらったばかりの銀が、ちょっと引っかかる気がするんです。もう一度、診てもらえませんか?」

二つの詰め物が密接しすぎてか、ブラシなどが引っかかって痛みがあるというのだ。

「え? そうかい? ふんふん、なるほど、こりゃやり直しをしようか。」

「でも、前回きちんと作ってもらったと思うんですが、作り変えるとどうなりますか?」

「ああ、保険の利かない、もっといい材料を使うよ。やり直しだから、費用は心配しなくていいから。」

処置が始まります。

ガシッ、ガシッ、・・ギーン、ギーン・・・・ガガガガ・・・

カメ子の口の中で治療が始まります。

ギギギギギ・・・、ギーン、ギーン、ガガガガガ・・・・

(わあ、すごく削ってるわね、いつまで削るのかしら・・・)

ギンギンギン・・・、ギーン、ギーン・・・・

(えっ? まだ削るのかしら・・・)

閉じていた目をうっすら開けて先生を見ると、マスクをしたその顔は真剣な目をしています。

ガリガリガリ・・・・ギーンギーン・・・・・

(うわあ、もしかしたら先生、怒ったんじゃないかしら。やり直しになったから、イラだって、でも、今回は必ずきちんとしないといけないからと、念を入れて気合が入っているのかしら、

ウッ、痛いなあ・・・、でも、怖くて痛いなんて、言えない。

それに今日はえらく水しぶきが顔にかかるわ。普段はこんなに飛んでこないのに。

やっぱり先生、怒ったのかなあ? どうしよう、わたし・・・

痛いより、怖い、ワーン、怖いよう・・・)

こうして、哀れカメ子は治療台に金縛りになったまま、ぴくりとも出来なくなったのです。

「はい、うがいをしてください。」

ようやく処置が終わり、衛生士さんが声をかけます。
グイーンと椅子が持ち上がり、背もたれが立ち上がります。

(ううう・・・・・)

しかし硬直していたカメ子は動けません。

「どうされました? あの、うがいをどうぞ?」

「ううう・・・」

衛生士に促され、カメ子は体を起こす。麻酔のためにだらしなく口を開けたまま、カメ子は必死で体をねじるとコップを取ってうがいを試みる。

クチュクチュ、タラタラ・・・・

うがいと言うより、よだれがたれるような仕草である。

そして、そのうがいと共に、突如目からポロポロ涙がこぼれ落ちた。

(ううう、・・・怖かった、ワーン、怖かったよー・・・)

先生が怒ったのかと心配しだしたカメ子は、その妄想が膨らんで、極限まで自分を追い詰めていたらしい。

ひたすら緊張して、口を開けて耐えていたのであった。

口を開けたまま、自分は殺されるのかと思ったかどうかは知らないが、うがいと共に、胸にこみ上げてきたものがいっきに流れ出たのです。

(うううう・・・・)

「あの、大丈夫ですか? どうかありますか?」

「あ、いえ、大丈夫です。・・・・」

「本当に、大丈夫ですか?」

「・・・・・」

必死で自分を保つと、スタッフに力なく頭を下げ、次回の予約を入れて帰ったのです。

背後から、衛生士さん達が心配そうに見守る視線を感じながら、ドアを出ます。

ブルーな心でバスに乗ると、重い気持ちを抱えたままようやく家にたどり着き、部屋に倒れ込みます。

這いつくばるようにして部屋の真ん中まで進んだ時、愛猫のクリクリが擦り寄ってきて、腕にペロペロしてくれました。

(ううう・・・、慰められるなあ、いい猫だねえ、おまえは・・・)

こうして思いがけない嵐に襲われ,乙女の休日は終わったのです。
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西新小町騒動

まだ暑さが残る初秋の頃、夜に行った猫の避妊手術が終わり、片付けをしていた時でした。
マル子が話し始めます。

「フフフ・・・、うちの母さんはですね、昔、西新のお店で勤めていたんですよ。」

「へえ、それは初耳だね、勤めてたなんて、何のお店だったの?」

「金物屋です。今はもうないんですけど。岩田屋ができた時に、なくなりました。」

「ははあ・・・、あの辺りにねえ、今はプラリバになったけど、そうかあの辺に個人商店が立ち並んでいる時代があったんだね・・・。」

「それでですね、近所に和菓子屋さんがあって、そこの若旦那さんとおつき合いしたこともあったらしいんです。」

マル子は可笑しそうにニコニコ話している。

「ふーん、なるほどねえ、若い、良い時代だね・・・。」

わたしの頭の中では、和菓子屋と若旦那ということで、勝手に江戸時代の町人姿の二人が浮かび上がってしまった。

「ところがですね、その近所に材木屋さんが引っ越してきたんですよ。何かの理由で移ってきたんだと言ってました。そこの息子がわたしの父だったんです。」

「ほほう・・・、なんと、そこに忽然と現われた青年が君のお父さんか! 事実は摩訶不思議! うーむ、これは事態が急変しそうだね。」

「フフフ・・・、それで、なぜか知りませんが、父と付き合うようになったようです。」

「材木屋だったら、お父さんは、もしかしたらお金持ちのぼんぼんだったのかなあ?」

「フフ・・・、昔の材木屋は、少しは羽振りが良かったそうですからね、もしかしたらそうなのかもしれませんが。・・・でも、父のところはその後潰れたらしいですけど・・・。」

「材木屋は潰れたか・・・、うーん、わかったぞ!見えてきた。」

わたしはポンと手を打つと、マル子に説明を始める。

 「君の若き頃のお母さんに惚れた青年、つまり君の父親は、なんとか和菓子屋の若旦那から、引き離さなければならない。

それで、消防士になったんだ。消防士になって二人の恋の炎を消し、そしてついに君のお母さんを射止めたんだ。

ところがその後もあちこちの火事を消してまわったから、火事が減って家が建たなくなり、材木屋は潰れた。つまりそういう流れだ。

国を滅ぼすほどの美しい女性を傾国の美女というけれど、なるほど、君のお母さんもそれに近かったんだろうねえ。
 
 それにしても、もし君のお母さんが和菓子屋に嫁いでいたら、今ごろ君は生まれてなかったねえ。」

「フフフ・・・、そうですね。・・・あるいは、和菓子屋の娘になっていたかもですね。」

まあ、そんなたわいもない話をしているうちに後片付けは終了、手術室の電気を消灯して、一日が終わったのであります。

以上が有名な昭和中期の西新小町騒動のてん末です。

え? そんな事件、聞いたことないって?

そ、そうですかねえ・・・・
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