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聖ノア通信 - 当病院の日々の出来事、ペットにまつわる色々な話をつづります -

豊島の遠泳

「こんにちわ、ワクチンをお願いします。」

トミー君を連れて、ムッシュSがお出でになりました。トミー君は来月の誕生日を迎えたら十歳です。

「トミー君は今日は元気ですか?・・・ムッシュ、今日は姪浜から能古島(のこのしま)まで泳いだ中学生の豪傑が来てますよ!」

ちょうどその日は、市内の中学校から職場体験学習のために中学生の女の子が一人、診察室で見学していたのです。

女の子の話では、姪浜の港から博多湾に浮かぶ能古島までおよそ1.5kmだそうです。

その距離は予想よりも近いと思いましたが、風があり、波があり、くたびれてもプールの底があるわけではない海の上を、遠くに見える島まで泳ぎに挑戦するのはちょっと勇気が入ります。

「ほう、君は能古島まで泳いだんだね。・・・」

ムッシュは女の子ににっこり話しかけながら、さらに言葉をつないだ。

「ぼくたちの頃はね、一万mの遠泳があったよ。

うん、豊島(てしま)っていう小さな島だったけどね、その頃いたのは。・・・そう、瀬戸内海の小豆島の近くにある小さな小さな島ですよ。

一時、公害物質搬入で騒動もあった島だけどね。

近くの島の周りを泳いで一周して、十kmね。島育ちだから僕は、舟の櫓をこぐのも、櫂を操るのも、出来るんですよ!

あの頃、修学旅行生を乗せた船が、霧の時に貨車を積んだ船と衝突して、子供が三百人亡くなるという事故もあったなあ・・・。

ぼくたちは舟で学校へも行ってたけど、霧が深いときは船首で長い釣竿を前方で振りながらゆっくりゆっくり進んでいたよ、いえ、本当に。

寒い時は黒く実ったオリーブの油を皮膚に塗ると寒くないと言っては、塗ってたし。戦後間もない時期だったからね。

風がないときは、海上が鏡のように静かで、まるで歩いて渡れそうな水面だったなあ・・・。」

ムッシュの話を聞いているうちに、わたし達の思いは博多湾の風景から、いつの間にか昭和三十年代、瀬戸内海の風がそよぐ島影へと、飛んでいたのです。

人にはそれぞれの人生がありますね。

人のたどった道は、その人が語り出すまでわかりませんが、このようにしてふとした機会に聞くたびに、その方の人生の深さに触れさせてもらえるのは、嬉しい事です。
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