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聖ノア通信 - 当病院の日々の出来事、ペットにまつわる色々な話をつづります -

駆逐艦時雨

ムッシュYがタマちゃんのキャットフードをとりに来られました。

「こんにちわ、ムッシュ。寒くなりましたね。タマちゃんは元気ですか?・・・そうそう、先日、戦艦大和の番組があってましたよ!」

「うん、見たよ。大和には三千数百人乗っていて、助かったのは二百数十人、一割もいなかったんだよなあ。」(ムッシュは細かい数字まで言われたのですが、私が覚えられませんでした。)

ムッシュは大正10年生れ。昔海軍の駆逐艦時雨(しぐれ)に乗り込み、今は90歳だそうです。

「海軍はね、戦艦には國名をつけたんだよ。武蔵とか、大和とか山城とかね。

巡洋艦には重巡洋艦と軽巡洋艦があるが、重巡には山の名前をつけた、足柄とかね。

軽巡には川の名前だ。最上とか。

そして駆逐艦には時候、季節の言葉をつけたんだよ。夕暮、有明、白露、五月雨(さみだれ)、時雨とかね。

僕の船は佐世保所属の西村艦隊で、レイテ湾作戦に参加し、戦艦扶桑、山城、軽巡洋艦最上、駆逐艦白露、夕暮、有明、時雨の七杯で突っ込んだが、戻れたのは僕の乗った時雨だけだった。

その時雨も、シンガポールの昭南島まで輸送船の護衛中にイギリスの潜水艦に魚雷でやられて沈没した。

大きな船が沈んでいく時の渦に飲み込まれないように、必死で泳いで離れてね、それから海防艦という小さな船があるんだけど、それに救助してもらえたよ。

ねえ、生きて帰ると・・・、自分だけ生きて帰ったという、なんだか、後ろめたい気持ちがあるんだな・・・。」

ムッシュはカウンターそばに立ったまま、ここまで話して、黙られた。

もう、68年も昔の話ですが、決して過ぎ去った話ではありませんでした。テレビで話されていた人々と同じように、それはムッシュにとって、昨日のことなのでしょう。

たくさんの人の犠牲と遺志で築き上げられた平和な時代を生きてきた者としては、次の世代へもこの平和だけは遺して行きたいものです。
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