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聖ノア通信 - 当病院の日々の出来事、ペットにまつわる色々な話をつづります -

さわやかな別れ

「チーちゃんが具合が悪いので、診てください。」

猛暑が続く七月の終わり、一頭のチワワを抱えてご夫妻がお出でになりました。

15歳のオス、見ると呼吸が早く、舌もチアノーゼで紫色です。
すぐに酸素吸入を始めました。

「あの、先週、美容に連れて行った後も、ちょっと様子がおかしかったんですが・・・。」

マダムが、心配そうに寄り添う。

チーちゃんは診察台に四本足で立っていますが、私の見た所ではそれは立つ元気があるから立っているのでなく、横になるときついから無理に立っている様に思われました。

聴診すると、速迫した呼吸には、雑音も伴っています。

(肺水腫かもしれない・・・。)

念のため利尿剤を注射し、素早く採血して貧血と白血球数検査をし、エコーを起立のまま手短に診る。

左心室の弁では、顕著な逆流が見られました。小型犬に多い、僧帽弁閉鎖不全です。白血球数も三倍に増加しています。

「ムッシュ、この子はすごく悪くて危険ですよ。」

チーちゃんは、しっかり立っていますが、状態は見かけ以上に緊急を要するレベルと思われました。

ところがそんなことを話している間に、早くもチーちゃんは診察台で倒れ、呼吸が停止します。

すぐに処置室に連れて行き、体を逆さにすると大量の水が気管から逆流して落ちてきます。予想以上の肺水腫です。
体をゆすって十分水を喀出させ、気管チューブを挿入しているうちに自発呼吸が戻ります。

目を丸くして見守っていた飼い主さんも、とりあえず安堵。
その間に急いで静脈を確保し、追加の利尿剤、気管支拡張剤などを投与しました。

「とりあえず呼吸を回復しましたが、またすぐ繰り返すかもしれません。」

「そうなんですか・・・・・・・・」

そして予想通り、再び呼吸停止と痙攣が生じた時でした。

緊急の強心剤や循環改善剤を用意していると、

「もう、いいです。そのまま、逝かせてあげてください。」

突然ムッシュが、そう言われました。

「えっ! ・・・ムッシュ、本当に、もういいのですか?」

「はい、苦しいでしょうから、もういいです。」

通常、このような瞬間は、ほとんどの飼い主さんが必死な思いです。なんとか助からないか、すがるような気持ちで治療に期待します。

そして、もし助からないときは、わっと号泣される事が多いのです。
治療に当たる私たちは、いつも飼い主さんのそんな気持ちを背後にひしひしと感じます。

ところがこの時ムッシュは、やわらかな微笑みを浮かべて、

「もう、いいですよ。このままで。」

と言われました。マダムは涙顔でしたが、瞳を濡らしたまま、優しい笑顔でした。

ムッシュの申し出で、私たちは、治療を終了としました。
お二人には、チーちゃんの心音が止まるまで、抱いて別れを告げていただきました。


それにしても私は、長い間大勢の飼い主の皆さんとペットの死を看取ってきましたが、この時は、今まで経験したことのないようなさわやかな別れの清々しさを感じたのです。

それは、たとえて言えば、何でしょうか・・・

桜の花が、今夜風が吹かなければ、明日まで持つのに、しかし風のために今夜散ってしまいそうなとき、

それならそれでいいんだと、花吹雪をじっと見つめるような気持ち・・・というのでしょうか。

(むむむ、こんな境地で別れられるのも、素晴らしい。)

私は、新鮮な驚きを感じました。

人生観や、生きる哲学、そして信仰など、

動物と暮らすことは、実は普段からの何気ない人間の生き方が深くかかわっているのだと、思わされたことでした。
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