内科医が引いてきた犬
それは早仕舞いの水曜日、夕方6時、ちょうど病院を閉めようとしたところでした。
ご年配のムッシュが、元気のない中型犬を連れて来られました。
「四、五日前から咳がでてきたようです。夜間にも咳が続いて、近隣の住民に迷惑をかけているようです。飼い主さんの代理で連れてきました。 」
代理人だと、たいがい詳しい様子がわからず、診断に苦慮しますが、ムッシュはこう言われました。
「飼い主さんは独居老人で、娘さんはいらっしゃるんだが、遠隔地に居住中なんだ。飼い主さんは最近パーキンソン病と眼疾患で、犬の世話が出来なくなってね。代わりに私が連れてきました。」
そんな話を聞いていると、マル子が私の耳にささやいた。
「先生、先生、・・・この方は、もしかしたら、近くの内科医院の先生じゃないですか?たしか、そんな気がします・・・。」
「おや、そう言われてみれば・・・」
たしかに、似ておられます。
「あの・・・、〇〇医院の〇〇先生ですか?」
「ええ、そうなんですがね、実は飼い主さんと言うのが、うちの患者さんなんですよ。今、お話しした通りの事情なものですから。だけど、もう本人は動けないし。それで、犬がする夜の大きな咳で、近所から苦情も出ているらしいので、私が連れてきた次第なんですよ。」
「あら、そういうことですか! それはそれは、ご苦労様です。」
私たちは、話を聞いてびっくりしました。
どうやら往診先で、独り暮らしのご高齢の患者さんが困っている様子を知り、その先生は見過ごしにできなかったようです。しかも、犬の症状は咳です。もともと呼吸器は先生の専門科目で、余計に可哀想に思われたのかもしれません。
それにしても、地域で長年医療を続けて来られた大先生が、見るに見かねて庭に回り、自分で犬の鎖を解き、動物病院まで引いて来られる思いやり深く謙遜な姿に、私は大変ショックを受けました。
こんなことまでして、患者さんのことを思ってくださるドクターがいるとは・・・。
診察の結果、その犬は、フィラリアにかかっていたので、込み入った治療をしないと簡単に咳は治りそうにありませんでした。ドクターの報告を聞いて、さて、当の独居老人は、どうされるのかはわかりません。
「しかし、それにしても、思いやりのある立派な先生が、居られるものですね。」
と、ちょうどそこに居合わせた他の患者さんたちと共に、甚く感銘を受けて、話しあったことでした。
おばあちゃん、もう、間に合わんよ!
先日病院の窓から何気なく外を覗いている時でした。高齢のご婦人が一生懸命道の左側を走っていた。いえ、正確に言うと、彼女は急いで駆けようとしているようだが、少しも早くはなかった。左手にカバンを下げ、右手にはたたんだ傘を握り、ただせわしなく手を動かしながら、走ろうと努めている様子でした。
と、その次の瞬間です。予期しないことに、突然、どこかのスピーカーから大きな声が聞こえてきたのです。
「おばあちゃん、おばあちゃん、もう、走っても間に合わんよ。もう、間に合わんよ!」
私は最初、何の声かわかりませんでしたが、どうやら、道路上の車からの声だと理解しました。
しかし、何を言わんとしているのか?
そうだ、パトカーがフラフラしながら走っているおばあちゃんを見かけて、危ないから走らないように注意しているのか!?とも思えた。
しかし、ちょっとばかし、情景と言葉のつじつまが合わない。
そうだ、もしかしたら、バスか!?そうだ、バスだとしたら、狭い道を塞ぐようにヨロヨロ走っているおばあちゃんが危なくて、邪魔だから、もうバス停まで間に合わんよ、端に避けて頂戴と、言っているのか?と、考えた。
そして、確かにすぐに私の視界にバスが入って来た。おばあちゃんを追い抜く位置でした。
(冷たい言い草の運転手だなあ・・・)と、残念な気分になった。
けれどです。スピーカーから、続けて声がしました。
「おばあちゃん、もう、間に合わんから、ここから乗りなさい。ここから、おばあちゃん、ここから乗らんね。」
彼女はきょとんとして、一体何が起こったのかわからない様子だったが、バスが停車し、プシューッと音がして、自動ドアが目の前で開いたのを見た時、何が起こったのかを悟ったようです。
恐縮したようにしながら、手すりにつかまり、バスのステップを踏んで乗り込んだのでした。そして、バスはそのまままた、動き出しました。
後ろには乗用車が一、二台、クラクションを鳴らすこともなく、黙って待ってくれていました。
15秒ほどの時間だったかもしれませんが、私は、すごく大事な光景を見せてもらった気持ちでした。
バスの運行規約や、安全走行の原則、鉄則があるのかもしれません。予想外の事故を防ぐために、規則は大事なことかと思います。
それでも私は、大事な運転の決まりを、時にちょっと破ることは、人生を豊かにするために許される大事なことかなと考えさせられたのです。
杓子定規に生きない。獣医だって、勿論、そうありたいものです。
五十銭硬貨
「お父さん、あのね、こんなのが混じってた。」
八月の暑い、ある日のことです。
買い物から帰って来た娘が、私の目の前に小さめの硬貨を5枚、差し出しました。
「え? どうした?」
一見して一円玉より小さいのはすぐわかりました。色は五円玉のような黄銅色、穴は開いておらず、周縁にはギザギザがあります。
菊の文様と桜が六輪描かれ、真ん中に「五十銭」と右から左へ表記されています。
「ええっ! これは昔の五十銭硬貨みたいだよ。どうしたのこれ?」
「だから、今日買い物して、お釣りをもらったのを見たら、混じってたの。しかも、5個」
「はあー? そんなはずは・・・」
平成の世に、50銭硬貨が流通するはずない。けど、確かにお釣りに入っていたと言うのです。しかも、わからないのは、5枚。二枚で一円として渡すならまだわかるが、なぜ五枚なのか???
年号は昭和22年と23年。
終戦後も五十銭硬貨を鋳造していたようです。
「ふーん、」
しばし心は、昭和にタイムスリップ。
結局どこでお釣りにもらったかわからないままになりましたが、摩訶不思議な出来事でした。
それから数日後。
日曜日に教会に行くと、会計さんが私を呼び止めました。
「もしもし、献金袋にこんなのが一枚混じってたんだけど、どうしようもないから、あなたにあげるよ。」
差し出された物は、一枚の五十銭玉でした。
(ははあ、さてはこれが残りの一枚だな。娘の財布の隅に残ってたんだろう。それを献金の時、間違えて子供にでも渡したんだろう。これで偶数、勘定は合ってたんだ。)
私は、一円と交換で、その五十銭硬貨を受け取ったのでした。
かくして私の手元には今、終戦直後の昭和を覚えさせてくれる五十銭玉が六枚、並べられています。
介護1年8か月
「主人たら、ジェイが寝たっきりの頃は、ジェイに悪いからって、ずっと一人で散歩に行かなかったんですけどね。先日、久しぶりに一人で、思いでの散歩コースを歩いてきたそうです。」
「ハハハ、いえね、どうもジェイを置いて自分だけ散歩しにくかったからですね、ハハハ・・・。」
ムッシュTのご家族が、立ち寄ってくださいました。長い間寝たきりだった中型犬のジェイちゃんを介護していたのですが、この九月になって亡くなったのです。
「長い間」と一口で言いましたが、具体的には一年と八か月だそうです。まったく、脱帽です。わたしなんか、親が寝込んでも、一週間もお世話できないでしょう。
ジェイちゃんは成犬で13年前の1月25日、ふらりとT家に迷い込んできた雄犬です。
やんちゃというか、暴れん坊というか、一番大きな頃は25kgも体重があり、時にはお父さんを転ばして骨折させたり、咬みついて病院送りにしたこともあったのです。
それなのに動物好きのT家のご家族4人でいつも愛情いっぱい注いで世話をし、とうとう寝たっきりになっても、床ずれを包帯したり、寝返りをうたせたりと、替わらない愛情を注いだのでした。
「亡くなる二日前ですね、口を固く閉じて、もう食べないと言うんです。そう言っているように思えました。それでも、注射器で歯の隙間から流動食を流し込みましたが、ジェイが私を見てニコッと笑うんです。」
「お母さんが、そう思ってるだけよ!」
マドモアゼルが笑いながら、隣りからそう言い添えます。
「下の娘が、昔ジェイが来た時から飼育絵日記をつけていたんですよ。この前、それを引っ張り出してきて、みんなで『ああ、そんなこともあった、こんなこともあったね。』と、笑いましたよ。」
「それで、亡くなってから、最後にもう一度散歩コースを回ろうと言って、車に乗せて、よく言っていた散歩コースを、ゆっくり回りました。」
「ええっ! そんなことまで・・・、本当に最後まで特別待遇ですね。」
「ハハハ、はい、特別です。周りの人が聞いたら、『ここの家族は、おかしいんやないやろか?』と、思うかもしれないなとは思うんですが、でも、まあ、いいかと思って・・・。ハハハ・・・」
たしかに「おかしい、やりすぎ」のご家族ですが、きつそうでもなく、大変そうでもなく、こんなに楽しそうに介護してこられたのですから、素晴らしいと思いました。
もしかしたら、他にどんな困難が来ても、迎え撃つ秘訣を持っているのかもしれませんね。
それにしても、長きにわたり、お疲れ様でした。
「散歩コースにいつも仲のいいワンちゃんがいたけど、この前見たら犬小屋が片付けられていました。
もしかしたら、友達の犬が天国で、一緒に遊んでくれてるかもしれんね。」
「また、お母さんたら、死んだかどうかわからんのに・・・」
「ハハハ・・・、フフフ・・・」
十分すべきことをし尽したのでしょう。
ムッシュのご家族は、楽しそうに、帰って行かれました。
当て逃げの分かれ道
八月の猛暑の頃でした。
ある朝いつものように出勤し、あちこちエアコンのスイッチを入れて回りましたが、どうも手術室のエアコンだけ動きません。
(あれ、どうしたかな? 去年買い換えたばかりの新しい機械なのに。)
ピッピ、ピッピとリモコンスイッチをいじくるが、駄目です。部屋の温度は、容赦なく上がってきます。(・・・こりゃ、しんどい一日になるぞ)
やむを得ず、電気屋さんに電話をしました。親切な電気屋さんがすぐに調べに来てくださり、こう言いました。
「先生、これは故障じゃありませんね。室外機に車がぶつかって、壊れていますよ。」
「えっ、 車がぶつかってる!?」
慌てて外に出てみると、なるほど室外機が割れて凹み、後ろへずれています。昨夜遅くまで正常に動いていましたから、夜中にどこかの車がユーターンか何かで入り込んで、壊したのでしょう。当て逃げです。呆れてしまいます。やむを得ず、新しいエアコンを注文しました。
と、それから何日かして、マル子が言いました。
「先生、昨日ですね、私は歯医者に行ってたんですが、待合室にいた時、女の人が入って来て、『すみません、白いマーチの方いますか?車をぶつけてしまって・・・』と言うじゃないですか。
『はい、わたしのです。いえ、いえ、いいんですよ。』と、言いながら見に行ったんです。かすり傷くらいなら、もう、いいやと思って。
そしたら左の前が結構ぼっこりほげてて、コーナーセンサーも壊れていたので、明日修理に出すことにしました。相手の人が保険で修理させて下さいと言うので、お願いしました。」
「そうか、良かったね、ちゃんと言ってくれる人で。当て逃げも多いだろうから。」
ハンドルを握ってなくても、交通事故は、ついてきます。
保険に入ってなかったために、「普通の人」が、事故の瞬間から「無責任な人、卑怯な人」と、呼ばれるようになるかもしれません。
当院の診察室にも、車に撥ねられて息も絶え絶えのワンちゃんが、何度も担ぎ込まれてきました。飼い主さんは泣きじゃくり、運転手さんは、すっかり小さくなっています。本当に気の毒です。
安全運転と同じくらい、任意保険は大事ですね。