だって、まつ毛は大事!
(まあ、なんてきれいなまつ毛なんだろう!)
風邪を引いた後の咳がいつまでも長引くので、ぺ子が近所の病院に行った時でした。喉にお薬を塗ってくれた看護士さんが、あまりにも眼元のパッチリした美人だったので、感心して見つめました。
(素敵な目だわ、このまつ毛は、本物かしら、それとも、つけてるのかしら?)
ぺ子は気になって仕方なかったのですが、まさか「それ、本物ですか?」なんて失礼なことは聞けません。心の中で気になりながら、黙って帰りました。
それから十日後です。「コンコン」まだ咳が続くので、またお薬を貰いに行った時です。再びその綺麗な看護士さんに会いました。やっぱり素敵なまつ毛です。ぺ子は、もうどうしても我慢が出来なくなりました。
「あのお・・・、とても素敵な長いまつ毛ですね!」
「あら、フフフ・・・、これ、エクステンションなんですよ。」
「へえ、・・・、でも、きれいですね。どうしたら、そんなに出来るのかしら?」
「はい、行きつけのスパがあるんです。月に一回通って、手入れしてもらってるんです。」
「ふーん、毎月ですか・・・、で・・・あの・・・ふーん・・・」
なんて失礼なぺ子でしょう。とうとう看護士さんから、行ってるお店の名前からかかる費用まで聞き出したのです。
皆さん、まつ毛が少しぐらい長かろうが、短かろうが、いいではありませんか。こっちはまつ毛どころか、頭の毛が寂しくなっても我慢しているのに、ぺ子はまつ毛の量なんか増やしてどうするんでしょう。
しかし、後日です。休みを使って、ぺ子は根掘り葉掘り聞きだした例のお店に行ったのです。
「あったあった、ここだわ! こんにちわ、あの、まつ毛にエクステンションをしてもらえますか?」
「はい、どうぞ。・・・で、少し硬めのまつ毛と柔らかめのまつ毛とどちらにしましょう。」
「え! 硬めか、柔らかめか? え、どうしよう、どっちがいいのかなあ・・・」
「料金が違いまして、・・・・・」
まつ毛に硬めと柔らかめの二つが用意されているとは知りませんでした。でも、もし目に入ったら硬い方がより痛そうです。
さあ、ぺ子はどっちのまつ毛をつけたのでしょうか?
もし当院に来られて、彼女のまつ毛に気がついた方は、
「わあ、きれいなまつ毛ですね。まつ毛がすごい!まつ毛が立派!・・・」
と、暇があったら、言ってあげてください。
まだまだ、生かされている限り
「先生、右の胸にしこりがあるんですけど、これ、何でしょうか?」
ダックスのメリーちゃんを連れてムッシュ&マダムKが最初においでになったのは、7年ほど前のことでした。
その頃すでに13歳。
「もう1cmほどになってますね。大きいですから、切りましょうか。」
右胸の乳腺を三つ取って、検査結果は悪性でした。
御夫妻は心配されましたが、幸い再発もないまま2年が過ぎた春、今度はリンパ腫という重い病気にかかりました。
(あら、まあ、またどうして・・・)
御夫妻は降って湧いたような驚きを乗り越えながら検査を進め、大学病院などと連絡を取りながら毎週抗がん剤治療を繰り返し24回、その年のクリスマスには一応治療終了となります。
「すごいね。頑張ったね!」
15歳の誕生日を元気に迎えることができました。ご夫妻にとっては、大切なメリーちゃんの健康を取り戻せて笑顔が広がります。
そしてまた2年後、次は神経障害、突発性前庭障害類似の症状で寝込みますが、まもなく回復します。
「良かった、良かった!」
さすがに17歳の頃は、後ろ足が少し弱ってきますが、まだまだ散歩に出かけていました。
ところが18歳の春、ある日突然のひどい神経症状です。頭を振ったり、上半身をビクビク震わせたり、けいれんを繰り返します。やっとおさまったかと思うと、急に走り出して壁に激突。
何だろう?頭部の疾患か、それとも腫瘍でも発生か?と疑ったのです。病院に抱いて来られた時は立てなくなっており、呼吸も苦しそうになり、
「もう、今度は、だめかも・・・」
御夫妻は(いよいよ、来るべき時が来たか・・・)と、内心覚悟をされました。大きな病気を何度も乗り越え、長生きをしてくれたから・・・、いえいえ、だからといって諦めきれない。やっぱり治ってしっぽを振ってほしいんです。
ところがでした。
「もう、連れて帰ります。家で、世話をして看取ります。」
そう言われて抱いて帰ってから、一生懸命の介護をしていたところ、どんどんメリーちゃんの意識は改善し、また立てるようになったのでした。
ⅯRなどの検査をしないままなので、原因もわかりませんが、一か月たって今や散歩が出来るようになったメリーちゃんです。
「こんなに、元気になったんですよ。それで、診てもらいにきました。それと先生、また、ビタミン剤を下さい。」
「すごいね、メリーちゃん!不死鳥だね。」
「本当に、元気なんですよ。」
マダムがにっこり笑顔で、私たちも嬉しくなりました。ご夫妻にとって、メリーちゃんは力の泉です。
朝のひとこすり八万円
「大変、大変、遅刻しちゃうわ!」
空を見るとどんより曇り、ぽつぽつ大粒の雨も落ちています。出勤の支度が遅れた猫娘は、あわてて赤い軽ワゴンのドアを開けました。カバンを放り込んで、飛び乗ります。
「ちょっと待てよ、食べ残しを冷蔵庫に入れ忘れたかしら?」
女の朝は大変です。人目にさらせる顔づくりをしないと?いけませんし(そうらしいのです)、朝食だって男みたいに食パンかじって飛び出すと言うことはしません。少なくとも朝から美味しいものをちゃんと食べたいのが猫娘です。
従って、全体でどのくらいの時間が必要なのかは、それは企業秘密ですが、その朝の彼女は、時間が普段より険しくなっていました。
「ぶっ飛ばすぞ」
ぶつぶつ言いながら、猫娘はエンジンを始動し、右と左の安全を確認し、車を発進させました。
駐車場から出しながらハンドルを左に切った時です。
「ギギギギー」
「えっ、何、今音がした?」
道路に出る時に、後ろで何か小さな音がしたような気がします。
(まさか、まさか、そんなはずないわよね。)
彼女はすぐに車を止めました。自分を落ち着かせるように言い聞かせて、車を降ります。
せっかく念入りに整えた顔が、恐怖で引きつるのですが、勇気を出して車の左に回ってみました。
「うぎゃー、やっちゃったー・・」
そこには、白く波打つ新しい模様が刻まれていたのです。
へなへなと座り込む猫娘、さっきまでらんらんに秘めていた朝の戦闘開始のファイトは風船が割れるように消え去ります。
・・・・・・・・
「というわけでですね、先生。車にキズがついたから、修理出さなくちゃならない。だけど、八万円だって、わたしもう・・・・、先生、半分出してよ・・・」
出勤してきた猫娘が恨めしそうな顔で、そう言いました。
皆さん、八万円は大きいですね。大金です。
でも、人を轢いたりしたらそんなことでは済まないですからね。一生を奪われる相手に、十分な補償を差し出してお詫びしなければならないから、車を運転する人は保険に入りましょうね。
猫娘、車のキズより、人間は心の傷だよ。車のキズは、すぐ直る。
好きなもので身を滅ぼす・・・
「また皮膚が悪くなったので、お預けしますから、治療をお願いします。」
シーズのリリーちゃんを抱いてマダムKがおいでになりました。リリーちゃんは、アトピーとアレルギーがあり、昨年もしばらく入院したことがあります。
「おやおや、胸や脇がべとべとになって、リンパが滲み出てますか?いかにも痒そうで、真っ赤ですね。」
鼠蹊部も発疹が見られます。家では食事療法も緩やかになりがちなので、確かに入院したほうが良さそうです。
「それではしばらくお預かりしますね。」
「しっかり何でもお願いします。じゃあ、りりーちゃん、がんばってね。」
「待ってよ! 置いてかないでよ!ワンワン!」
しかし無情にもマダムは立ち去ります。いえいえ、顔で笑って背中で泣いて、マダムは心を鬼にして立ち去るのです。それがしかしリリーちゃんには、伝わるはずもないのでした。
次の日から、厳しい食事療法が始まります。
「はい、美味しいよ!リリーちゃん、食べられるのは、これだけだよ。十分経って食べないと、片づけるよ。あとで、インターフェロンの注射をするからね。お昼には免疫調整剤を飲もうね。」
「・・・・・・・」
口をぐいと噛み締めて、スタッフの甘い誘いにも乗らず、院長の迫力不足の脅しにも屈せず、リリーちゃんは一日目は何も食べません。
「今日はどうかな?お腹空いたろ? 美味しいよ、食べなよ!」
まだまだ食べないだろう・・・と予想していたのですが、二日目は割と素直に治療食に口をつけました。
「うん、これなら、行けるかな・・・」
べたべたの皮膚から糸状菌のアルテリナリアも検出されたので、薬を塗っていると、急速にカサカサに乾いてきました。同時に赤みも引いてゆきます。
まあまあ、順調か!と思われたのですが、その後、また療法食を素直に食べなくなります。時々食べるけど、毎日は食べない。思ったより、根性がある奴でした。
深夜見回りの時、リリーの前に座って話しかけます。
「あのね、とりあえずこれで皮膚を治さないと、帰れないよ。好きなもんばっかり食べていたら、体壊すよ!私の爺さんも好きな酒ばっかり飲んでたから、肝硬変になったし、知り合いのおじさんは、なんでもすぐ醤油をかけるから血圧高いし、
そうそう、うちの奥さんも、甘いものが好きだから、しょっちゅう顔にブツブツが出来たとか、つぶやいてるよ。うん、だいたい人間は好きなもんで身を滅ぼすんだよね・・・。」
ケージの中のリリーちゃん相手に人生訓を垂れても仕方ありません。
ただ、話し相手のいない院長の聞き手に、なってもらっているだけでした。
もう一度畑に行こう!
「タローが三日間下痢して、それにしょんべんばっかりすると!」
ムッシュHが中型犬のタローを、農作業用軽トラックに載せて連れて来られました。
「三日間、下痢が続いているんですか?」
「うん、何も喰わんごとなっとる。様子見よったけど、こらいかん思うて連れて来た。」
診察台に上げてもらったタロー君、なるほど立っているのもしんどいようで、腹這いになって伏せてしまいました。
「吐き戻しはありますか?」
「いんや、吐いてはおらんばってん・・・」
八度三分で熱はありません。後ろ足から採血をさせてもらうと、白血球が少し上昇しており、肝臓酵素の一部も増加しています。
しかし最も顕著なのは、胆嚢系と腎臓系の値でした。どちらも非常に高くなっています。
「そうね、そんなら、注射でもしてくれんね。」
「あの、ムッシュ、これはすごく悪そうですから、連れて帰るより入院させた方が良さそうですよ。今日、明日が危ないかもしれません。注射するぐらいじゃちょっと、もう・・・」
「うん、そんなら入院させよう。」
感染症の可能性もあったので隔離室に入れました。ケージに入ったタロー君はやはりそうとうきつそうで、されるがままです。24時間点滴が始まりました 。
「どうね、今日は連れて帰れるね?」
翌日面会に来たムッシュが、そうスタッフに尋ねています。
「いえ、ムッシュ、昨日お話ししたように、三日以上はしっかり治療を続けた方がいいですよ。」
「タロー、タロー、・・・・・」
作業帽の下の日焼けした顔をにっこりさせて、ムッシュは短時間で面会を済ませると、車に乗り込まれました。
また翌日来られたムッシュが言われました。
「もう連れて帰ろうかと思うけど。うちで看取ってやろうかと思うが。」
「いえ、ムッシュ、数字は少しづつ改善して、本人の気分も少し楽そうですから、このままうまくいけば、死なないで済みますから、もう少し治療したらどうでしょうか?」
「じゃあ、置いとこうかね。」
タローの回復はゆっくりでしたが治療には反応してくれるようでした。どうだろうか、嘔吐が始まりはしないか?と、気をもみながらの点滴であり、実際一度は嘔吐をしたのですが、それでも時間がたつにつれ気のせいでしょうか、何となく目に輝きが見えてきました。
結局一週間の入院になりました。130を超えていた尿素窒素の値も 正常に戻る事が出来ました。フードも小分けして与えれば、美味しそうに食べてくれます。
「今日は、連れて帰るよ!」
「そうですね、ムッシュ。そろそろ一度、家で様子を見て戴きましょうか。 タロー君、帰ろうかね。」
来た時と違って、自分でしっぽを振って歩きながら、タローは帰って行きます。それにしても愛犬の一週間の入院は、ムッシュにとっては予定外の出来事になったのかもしれません。
もう11歳をすぎたタロー君ですが、どうぞ順調に回復して、またムッシュと一緒に畑に行けるようになってほしいものです。