夜のタクシー
「今週はゴールデンウイークですね。忙しいですか?」
「いんや、うちは夜しか走らんし、野球もあるし」
ビーグルのターちゃんが、耳血腫で通院して来た時、ムッシュNにお聞きしました。ムッシュは、個人タクシーを経営されています。もう働く必要もない御身分のようですが、大好きなソフトボールと仕事とを続けながらますますお元気です。
「しかしねえ、夜の酔っぱらいは困るねえ。この前もね、『野間まで』と言われて走ったけど、野間に着いたらお客さんが寝込んでね、『家はどちらですか?』って、いくらゆすっても起きんのよ。
ほとほと困ってね、近くの警察署に連れて行ったよ。そしたら、『いや、うちは今日は満杯。もうトラは収容できん。隣りの警察署に連れて行って。』ち言われてね。ほら、だいたい地下にそんな場所があるでしょうが。
そうよ、仕方ないから、別の警察署まで連れて行ったよ、タクシーでそのまま。
そしたらそこの警官の一人が、『あ、またこの人か! たしかこの前も来とったよ!』て言ってね。往生したよ。
でもね、男の場合はまだいいたい。女の人の場合が困る。」
「え!? 女の人でも、寝込みますか!?」
「そうよ、おるんよ。だけど、ちょっとでもゆすったりしたら、『あ! あんた、私に触ったろ!』とか言われかねんけね。そうよ、トントンってしたって、後で何ち言われるかわからんけね。どうしようもできんで、やっぱり、警察に連れて行くしかないよ。
それにね、この前は、乗せたお客さんが、途中で吐いてね。おろしたばかりワイシャツにもべっとり飛ばされて、もう仕事ができんやった。」
「それは困りますね。」
「そうよ、それがね、車内のクリーニング料をいただかんといけないのですが・・・と言っても、『払わん』とか言われてね。『俺が自分できれいにする』とか言うけど、そんなできんでしょうが、次のお客さんを乗せられるくらい綺麗にはね。」
いつもはつらつとしたムッシュですが、なるほど、聞けばポロポロと、次から次にいくらでも苦労話が出てきました。本当はもっと言うに言われぬ話しもあるのかもしれませんが、今日はもう耳の治療の方が終わりました。
さあ、今夜はムッシュ、中洲あたりでハンドルを握っているでしょうか?・・・
「運転手さん、野間まで!」
「・・・はい、・・・えっ、ドキッ!」
妻を想いつつ、日本一周
「お待たせしました。たっちゃん、どうぞ!」
トコトコトコと、足取りも軽く、黒パグのたっちゃんがムッシュにを引っ張るように診察室に入って来ました。いつものように椅子にぴょんと飛び乗ったところで、ムッシュが抱えて診察台へ上げます。ブフブフブフと、忙しそうな息づかいで、テーブルの四隅を嗅ぎまわります。
「今日は、狂犬病ワクチンをお願いします。」
「はい、一緒に耳もチェックしましょうか?」
ムッシュの最愛の奥様が、頭に腫瘍ができ、数年の闘病の後一年ほど前に亡くなられていたのです。しばらくお見かけしない日々があり、みんなで心配していましたが、この頃はまた耳の治療で通院されるようになっています。
「先生、私はもう少ししたら、こいつと一緒に日本一周をしてみようかと思うとるんです。」
「へえ、日本一周!? いいですねえ、キャンピングカーにでも乗ってですか?」
「いいえ、普通の車ですが、ペット同伴可の宿を使ったり、車で寝たりしてもいいと思ってるんですよ。山口から日本海を周って海沿いを走り、東京みたいなところは素通りしてね、四国ではお遍路さんの道を行こうかと・・・」
「ふむふむ、ゆっくりい進めますね。いろんな見どころがあるでしょうね!」
「ええ、実は私は家内を、どこにも連れて行ってあげんやったから・・・。
一度、呼子には行きましたが、その時『おい、何を食べようか?』と、聞いた時、家内は『何でもいいよ。うどんでもいいが。』って言ったので、通りかかったふつうのうどん屋に入ったんです。」
「うーむ、・・・・・」
「せっかく呼子まで行ったのに、イカぐらい食べさせてやったら良かったと、今にして考えるんですよ・・・」
「そうですか・・・、せっかく呼子に行ったからですね・・・。」
「ええ、・・・それで、家内を連れて行ってあげられなかった分、これからはこいつと旅して周ろうかと・・・。その話をしたら、娘が、それならこの道からどこそこへ入ったらいいとか、コースを調べてくれましてね。」
ムッシュがぽつりぽつりと話されるのを聞いていると、奥さんの遺影を助手席に、たっちゃんが窓から顔を出し、夕焼けの日本海を走る情景が目に浮かぶようでした。
「さあ、たつ、帰ろうか!」
ワクチンも無事終了、黒一色のたっちゃんは、短いしっぽをふりふりお父さんと帰って行ったのです。
イチゴの痕跡
「はい、どうぞ。これはアトムちゃんからおすそ分けの、イチゴです!!」
お茶の時間です。マル子が白いお皿に燃えるような真っ赤なイチゴを載せて持って来ました。ネコのアトムちゃんは、家で大好きなイチゴをもらっているそうですが、有名な福岡産の「とよのか」よりも、こちらが好きなのだそうです。だけど、どんな品種だったか、名前を聞いたけど、マル子は忘れてしまったようです。
「わあ、美味しそう!」
「ヘヘ・・・、アトムちゃん、ありがとう、いただきます!」
「だけど、イチゴにもキシリトールが入っているから、低血糖を起こすのでイヌやネコには良くないんだってよ。アトムちゃん、大丈夫かな?」
「でも、栄養の先生が、イチゴには糖分も含まれているから、低血糖の心配はそんなにないと言ってたわ。」
そんなこと口々に言いながら、みんなイチゴにパクつきます。
「あら、マル子はどうして食べないの?」
「うん、私は、お昼に先にもらったから・・・」
その時です。カメ子が納得顔でこう言いました。
「ははあ・・・、それでわかったわ。さっき、ゴミ箱を覗いた時、イチゴの臭いがして、へたや、赤い汁がついた紙を見つけたのよ。
(むむむ・・・誰かケーキを買って来たのかな。・・・そして私が出勤する前に、もしかしたら、分けて食べたのかもしれないわね・・・)
と、その辺がずっと気になってたの。だけど、これで理由がわかったわ。アトムちゃんのイチゴだったのね!
晴れ晴れとした顔で、カメ子が言いました。
うーむ、カメ子、君の心にはそんな疑問が渦巻きつつ、今日は仕事をしていたのか。
恐るべし観察眼。相変わらず、食べものに対する嗅覚は、猟犬の如しだ。
外灯の取り換え
「あ、またタマが切れてるみたい!」
夜、仕事を終えて帰る時です。病院の西側の壁につけた防犯灯、蛍光灯の三台のうち真ん中の蛍光灯がチカチカしていました。
「取り替えんと、いけんね。いつか明るい時に。」
「あ、本当ですね。取り替えないとですね。」
チラチラする蛍光灯を見上げながらカメ子も頷いて、自転車で帰って行った。
それから二週間、真冬の寒風に吹かれながら、私は脚立に上がってタマを取り換える気に、なかなかなれない。
もちろんカメ子もマル子も、忘れているふりをしつつ日を過ごすうちに、蛍光灯は切れてもう点かなくなった。
と、そんなある日、「こんにちわ!電気屋です!」と、馴染みの元気なお兄さんがチラシを持ってあいさつに来られた。
「おっ、ちょうど良い所に。すみません、ちょっと、お願いが・・・。おい、カメ子、取り換え用の蛍光灯を持っておいで、ほらほら、早く、ちょっと、手伝ってもらおう。」
こうして辛い作業を遁れようとした私は、電気屋のお兄さんとカメ子に蛍光灯を一本持たせ、木枯らしの吹く用水路そばの壁へ、行ってもらったのだった。
蜘蛛の巣がついて古びた蛍光灯のカバー、そのネジを上も下も外したら、防水ゴムがあるのでそれもキュルキュルはずす。
「すみません、足場が悪いでしょ。それに、軒にぎりぎりの所だから、ネジをすごく外しにくいでしょ。死んだ虫なんかも、いるし・・・。」
「ハハハ、そうですね、虫ならまだいいけど、時々カベチョロなんかが飛び出してくると、ギョッとしますよ、ハハハ・・・」
「そうなんですよ、だから私、取り替えないといけないと思いつつ、それに寒いし、やだなあって、つい伸ばし伸ばしになって・・・」
「ハハハ、そうでしたか。どうぞ、もう中へ入っていていいですよ。こっちはやっときますから・・・」
・・・・・・
「ヘヘヘ・・・、先生、というわけで、私帰ってきちゃった。外はもうすぐ終わるみたいですよ・・・」
「おやおや、なんでもしゃべってくるんだね、まあ、いいか、お疲れさん・・・。」
電気屋さんには、ついでにもう一か所、切れていた裏口の照明も取り替えてもらった。
外を見ると早い冬の夕暮れ迫り、今にも雪がチラつきそうです。
網膜黄斑変性
「こんにちわ!ねえ先生、うちのモーセ君が二日前からなんだかフラフラするような歩き方で、診てください。」
マダムTが可愛いヨークシャーテリアを連れてお出でになりました。もう16歳、かなり高齢です。
「あら、この前カットしたばかりですよね。その時の疲れが出たのでしょうかね。」
神経疾患かなと思いつつ血液各種検査をしたところ、肝臓酵素値の増加と、白血球数が三倍くらいに上昇しているのが見つかりました。
「マダム、本当に具合が悪いようですよ、これはお薬が要りますね。」
「えー、そうなんですか。まあ、うちは病人ばかりだわ。だって主人がね、網膜黄斑で今週入院して手術を受けたんですよ。」
「そうだったですね。」
「へへ・・・、それでね、三日間ベッドでうつむいて、顔だけ出せるまくらに伏せて、じっと床しか見れない状態なんです。そうしてないと、網膜にガスがまた溜まるといけないそうなんです。
でね、眼科って、女性の先生が多いでしょ。しかも、美人のドクターが多いのよね。それで言ったの。
「あなた、せっかく先生も、看護士さんも美人ばかりなのに、見れなくて残念ねって。」
看護士さんが『テレビぐらいつけて音でも聞けるようにしましょうか』?って、言ってくださったんですが、見れないテレビもどうかと思って、『いらないわよね?』って聞いたら、『うん』て。
ずっと下を向いているから、『あなた、ふだん悪い事ばかりしているんだから、いい機会だから、そうやって当分反省していなさい!』って言ってやったんです。フフフ・・・
『しっかり頭を下げて、下を向いて、十分反省しなさいよ』って。
何だかごちゃごちゃ言ってたけど、とにかく今は下を向いているしかないから、『じゃあね、反省が足りないと、月曜日まで延びるかもしれないよ。』って言って帰って来ましたよ。ハハハ・・・」
いつも仲の良い御夫妻ですが、相手が抵抗できないとわかると、なかなか厳しい手で攻めて来るようです。
「先生も、そろそろ歳だから、目には気をつけてくださいよ。フフフ・・・」
そう言って、マダムは帰って行かれました。
(むむむ・・・、そうか、網膜の黄斑変性には、気をつけないと、僕も何と言われるかわかったもんじゃないぞ・・・)と思いました。
それと美人の看護士さんが見えるように、もしもその時は、手鏡を持って行こうと。
援護射撃期待できず
「昨日、よその猫が庭に入って来たので、うちのフランちゃんがケンカしたんです。母の話しによれば、取っ組み合って、激しかったとかで・・・。先生、大丈夫でしょうか、診てください。」
大きなキジ猫のフランちゃんをキャリーに入れて、マドモアゼルAがおいでになりました。
「あらあら、ケンカをしたんですか? 猫同士のケンカは、どうしても激しいですからね。しかも、咬み傷なんて、最初はわからなくても後になって化膿してきますから・・・。」
フランちゃんは普段はおとなしい猫です。私たちは、体中を優しく触れながら、キズがあるか探しました。
「先生、あごの下に、血がついていたんですが、そこは大丈夫でしょうか?」
「えーと、顎の下ですか、・・・なるほど、血が滲んでますね。それと、胸にもほら、爪で裂かれたような小さな裂傷がありますよ。抗生物質をうっておきましょう。あとで、膿んできたりしないように。」
「はい、お願いします。私はいなかったんですが、相手の猫はフランと同じキジ猫なんです。それでケンカが始まった時、母はフランを助けてあげたかったけど、どちらがフランでどちらがノラ猫かわからなくなってしまったそうです。」
「へー、それじゃあ、困りましたね。」
「はい、それで母は、竿を持って来て、両方とも叩いたそうです。」
「えっ! 両方とも叩いたんですか?」
「はい、やめさせるため、太い竿で両方とも、打ったそうです。」
「ハハハ・・・それは、それは・・・」
私は、突如頼みの味方に打たれて、びっくりしてる猫の顔を想像してみた。さぞかし不本意だったに違いない。
どうやら咬み傷だけでなく、打撲傷も調べないといけないかな・・・。
沖縄の捨て犬
「えっ、先生たちが、そんなことまでされているんですか!?」
話しを聞いて、びっくりしました。正月休みを利用して、沖縄に行った時です。日曜日、那覇で知り合いの先生を訪ねて行った教会で、聞きました。
「この写真は、ある日『里親を探してください』と、教会の前に捨てられていたシーズーです。目が悪くて、年よりでした。
可哀想に、どうしよう・・・。考えあぐねていました。そしたらね、ちょうどあるご老人が、『犬を飼いたいのですが、私も年なので、子犬から飼ったらその犬を残して死ぬかもしれない。どこかに年をとった犬はいませんかね?』と、相談があったんですよ。その人に、紹介しましたよ。ハハハ・・・
こっちの写真ね、若いビーグルだったよ。『吠えるから飼えない』って、近所のスーパーに繋がれて捨てられててね。でも良い子でした。ちょうど犬が欲しいと言う人が現れた時に、貰ってもらえてよかった。」
「先生、一番下の写真はプードルですね。アプリコットのこんな犬も?」
「はい、プードルです。この犬はね、雨の中、ブルブル震えていて、じっと立ってたんですよ。それで方々に『保護しています!』って、写真入りでポスター作って貼って回ってね。でも、何日も飼い主が見つからなかったんですよ。
どうしたのかな、捨てられたのかな?って、そのまま二週間ぐらい世話をしてたんです。そしたらね、ある日小学生が通りかかった時、『あっ、ボクこの犬、知っている。見たことある!あそこの家だよ!』って叫んでね。
その子に教えてもらって家を訪ねて行くと、『いなくなったけど、まあ、そのうち帰って来るだろうと思って、ほおっていました。』って。
ハハハ・・・、そんなことがあった犬たちの写真ですよ。」
ご年配の牧師夫妻が、そう言って笑いながら話してくださった。
週に一度は辺野古の新飛行場埋め立て反対に、座り込みに行き、また週に一度はホームレスの方々の安否確認に夜の街を回っておられる60を過ぎた先生。その上、こうして捨てられたり、置き去りにされた犬の世話も、笑いながらされている。
(すごいなあ・・・)と、私は思わずにはいられなかった。
獣医の私でも、なかなかすすんでは、可哀想な捨てられ犬の世話をできないのに・・・。
さて、そう思いながら、仕事が始まったばかりの今朝のことです。スタッフが朝、いきなりこう言いました。
「先生、玄関の前に、犬が繋がれてますよ。知りませんでした?えーと、手紙が入っています。
何々?『家庭の事情で、飼えなくなりました。勝手なお願いで申し訳ありませんが、里親を探してください。ぜひお願いします。』ですって。先生、どうします?三歳ですよ。それにまあ、唸ってます。私を睨んでます。咬みつきそうですよ。」
(むむむ・・・、新年早々、こんなことに・・・)
私はさっそく試されているらしい。
匿名での勝手な捨て犬、行為の是非はともかく、今回ばかりは沖縄の牧師夫妻の器量に学べ!と天から言われているようなタイミングでした。
三毛猫、お前は運がいい。
12月のある寒い日、段ボールに入った一匹の三毛猫を、を中学生たちが運んできた。
「あら、もう死んでいるみたいよ。」
骨と皮になったその汚れた三毛猫は、ぺっしゃんこで、冷たくなり、動かなかった。
「せっかく連れて来てくれたけど・・・」
「いや、ちょっと待って!」
しかしもう一度じっと見つめていると、10秒に一回くらい息をしてる。
「生きているわ! 死ぬ寸前だけど、まだかろうじて息をしている。」
私たちは中学生が置いて行ったその三毛猫を、暖房の入った部屋に移し、ゆっくり点滴を始める。
ところが干からびた体にいくら点滴液が入っても、バリバリに張り付いた皮膚は、体にあくまでもこびりつくように粘着して水分が体に行き渡らない。入れても入れても大量のおしっこで、出ていくばかり。
「むむ、血漿増量剤を使おう」
点滴液を変え、その後ようやく体に柔らかさが、ゆっくりともどって来る。
しかし、目は分泌物で固まり、鼻水も溢れ、こん睡状態で眠り続ける。そして寝ていても、ひどい下痢をする。なにしろ一時間ごとにか30分ごとにか、点滴液が吸収されるにつれ、これ幸いと利用するかのように、下痢が繰り返された。たった今体を綺麗にしたと思っても、次に見に行ったら、また体中に下痢が付着してぷーんとひどい下痢臭。
「これはたまらん、むむむ、検便だ!」
顕微鏡を覗くと、回虫卵にマンソン裂頭条虫卵に、運動性細菌と、うじゃうじゃいる。
「ふーん、さぞかしワイルドな食生活をしていたんだな・・・」
点滴を始めて少し体温が戻りつつあったので、翌日、駆虫処置を行う。それで下痢の回数は多少減って行ったが、完全に止まるまでなお十日ほどかかった。
「とにかく食わせないと、なんとか食べてくれないか!?」
しかし、ミイラのような三毛猫は、鼻が詰まっているからか、何も食べようとしない。
「仕方ない、経鼻チューブ装着だ」
私たちは三毛猫に鎮静をかけ、鼻の穴から胃へ細いチューブを通し、皮膚に糸で留めた。
それから二週間あまり、チューブで強制的に胃へ高価な流動食を送り込んだ。猫は少しづつ体にふくらみを取り戻してきたが、それなのにいつまでたってもやはり自分で食べようとはしてくれない。
野生動物を保護した時、しばしば何も食べずに餓死していく個体がいるように、この猫は全く食べない。
「もしかしたら食欲中枢でも、やられているかしら?」
そういつまでも、チューブで養い続けるわけにはいかない。チューブを縫い留めている糸が切れたのを契機に、流動食はやめたが、二日目、三日目とやはり食べない。ただ、不思議とご機嫌は良いみたいで、ごろごろ喉を鳴らして人の手にスリスリ頭をこすりつける。
目は瞬膜とまぶたが癒着して、両目とも開かない。ほぼ盲目に近い。重症の結膜炎か何かで、癒合してしまったのか。
「これでは不自由だろう・・・」
麻酔をかけ、少し乱暴だが癒着した個所を切り開き、自由に目が開くようにトリミングする。瞬膜が解除され、目が開いた時、幸い両方のひとみは綺麗に温存されていた。黄色の虹彩が見える。
「どうだ、フードを食べないと、助からないぞ!」
翌日、食欲増進剤を注射。
そして保護から24日後、ついに三毛猫は自分でフードを食べた。やっと食べた。ようやく食べてくれた・
「先生、食べました!初めて食べましたよ!」
スタッフが嬉しそうに言う。
「そうか、とうとう、食べてくれたか・・・」
これで、ようやく生きていける見通しが立った。
「おい、三毛猫、お前は運がいい。」
私はステンレスのケージに入っている、小さな三毛猫に話しかけた。
でも、これは誰に言っているんだ!?
私はこれを三毛猫に言いながら、しかし心の別の部分で、自分自身の人生に重ねて念じたことを、はっきり感じていた。
そうだ。振り返れば、私自身も、目に見えない誰かによって、同じように生かされているんだと、感じないわけにはいかない。
「おい、ハゲオヤジ、間違いなくお前もそうなんだぜ。」
空の高いところで、そんな声が響いている気がする。
13年待ったのよ
「こんにちわ、ボブのお薬を貰いに来ました。お願いします。あ、あそれから、今度名前が変わったので、書き換えをお願いします。」
クリスマスも近づいた12月の下旬、ミニチュアダックスのボブちゃんを連れて、マドモアゼルがお出でになりました。
「はい、どうぞ、ボブちゃんは・・・えーと、体重は少し減りましたね。」
「はい、フフフ・・・、食事を厳しくしているので、その成果かな?」
ボブちゃんは太り過ぎで、両側に会陰ヘルニアが出来、春に大手術をしました。それで、太ることに気をつけて戴いています。
「名前が変わられたとか・・・」
いつもニコニコして居られるマドモアゼルに、お聞きすると、またニコニコしてこう言われた。
「はい、長く付き合ってた彼と、今度入籍したので・・・」
「それはおめでとうございます。良かったですね。」
「あら、動物病院で、おめでとうと言われるとは思ってもいませんでしたが、エヘヘ・・・、はい、ありがとうございます。もう、13年付き合ってたんですよ。」
「じゃあ、何度もプロポーズされても、なかなか首を振らなかったのでしょうね。」
「違うんですよ、全然、プロポーズされなかったんです。このままでいい!みたいな感じで。それで私もずっと待ってたんですが、もう限界、これ以上待てない、今年で最後別れようと思ってたんです。
そしたら、へへへ・・・」
「ふーん、じゃあ、よっぽど、ロマンチックな場所で、プロポーズされたんでしょう!?」
「それが、二人とも疲れて眠りかけている時で、『ねえ、結婚しようか』『うん? え、ああ、いいわよ・・・』そんな調子だったから、翌朝、私聞いたんです。
『ねえ、あなた、昨日の夜、私にプロポーズしたっけ?』『うん、たしか、したと思うよ。、うん、したした。』『あ、やっぱり、夢じゃなかったんだ。』
ね、こんな調子だったんです。でも、いいんです。とにかく、そういうわけで、良かったんです!!」
いつも明るいマドモアゼルですが、その日はさらにニッコリと、素敵な笑顔でした。
とびきり嬉しいクリスマスになりましたね。長ーく、お幸せに!!
前の車、止まりなさい!!
「この前ですね、私、バスに乗っていたんです。そしたら後ろから『前の車、止まりなさい!』って、拡声器の声が聞こえて来たんです。なんと、私の乗っているバスに言ってたんです。」
夜、私が検査室のパソコンの前で、メールに目を通していたら、そばでカメ子が話し始めた。
「(一体、何? バスもおまわりさんから止められるの?)
私、不思議に思いながらドキドキしたんですけど、それで運転手さんはバスを脇に止めたんですよ。そしたら警官が前に走って来て、『ドアを開けて!』って言うんです。運転手さんが自動ドアを開けたら『降りて来て』と呼ばれたんです。
どうしたのだろう?と思って聞いたら、どうやらそのバスの行き先表示が『回送』になってたらしいんです。回送なのに、お客さんを乗せて走っているので、不審に思った誰かが110番したらしいんですよ。
結局、機械の故障だったんですが、表示が直らないので、運転手さんは『すみません、皆さん、ここで次のバスに乗り換えていただけますでしょうか?』と言って、みんな降りることになったんです。
その分はバス代は要らないということで、お金がちょっと浮きましたが、でも、そんなことってあるんですね!!」
「ふーん、そうか。でも、誰かが(もしや事件か!?)と危惧して電話してくれる、そんな人がいるのは、ありがたいことだね。ところでもしかしたら、『中に変な女の人が乗っている』って、言われたんじゃない?」
「いいえ、言われていません! あ、それから、この前、交通事故も見ました。赤になった交差点に自転車の高校生が突っ込んできて、青になって発進していた車がそれに気づいて急ブレーキをかけたんですが、間に合わず、撥ねられてしまいました。
私、『大丈夫?』って駆け寄り、『イテテ、イテテ・・・』て言ってるその男の子を抱えて歩道に上げてあげたんです。周りの人も、自転車を脇へ寄せたりして『大丈夫?』って、声をかけていました。
でも私、その子を助けながら・・・本当は青で発車したのに加害者になってしまったドライバーの方が気の毒だなと思いましたよ。信号を守っているのに・・・」
カメ子は珍しく感慨ぶかそうな顔をしてそう言った。
通勤、それは決まりきった道順を通ってるけど、長い間には、いろんな経験をするものですね。
皆さんの通勤、通学が、守られますように!!
車に引かれる猫も、減りますように!!