計画変更が人生
人生とは思い通りには、事が運ばないものです。
けれど、描いていたプランが崩れたからと言って、それが悪くなったと言うべきかどうかは、わかりません。
先日、また研修で一年に一度のハワイに行かせていただきました。
ホノルルで三年前まで動物病院をされていたドクターKに、お会いしました。
ドクターは、現役の頃は朝三時から自分の病院に出勤し、居候の動物を含めてたくさんの動物の世話をし、夕方の診療終了まで働き続けたと言う方です。
「僕はクレージーだ。」
と、自分で笑うほど仕事熱心だったので、とうとうリタイヤするまで独身でした。
「もう、疲れたよ。体がえらいよ(きついよ)。」
そう言って、70歳くらいになってようやく病院をゆずりました。
「これからは、のんびり好きなことが出来るでしょう。」
そう考えて、早朝からダイヤモンドヘッドのふもとをジョギングしたり、海釣りをしたり、自分のペースで生活を始めた時でした。
ところがです。仲の良い友人が癌にかかり、入院、治療の後、どういう理由からか、ドクターの家に転居、介護を引き受けるようになったそうです。
一体、どんな理由で転がり込むのか?親戚は他にいないのか?細かな話を詮索するのははばかられましたが、とにかく病気が進んで食欲のない友人の食事を用意してあげたり、世話をしてあげているそうです。
「渕上さん、それで私は4㎏痩せましたよ。今は、家の中にいて大変、ストレスね。何か食べさせようと、作っても、『それは食べたくない。』と、言って食べないでしょう。難しいね。」
ドクターは笑顔でそんな話をされましたが、もともと竹のように細かった体は、今ではもう笹のようになりそうです。
人生とは、思い描いたプラン通りには、運ばないものです。
先日も、一人のマダムが話しておられました。
「主人が定年になって、これからと思っていたら、思いがけず早く逝ってしまいました。全く予定外で、暫くの間は自分の頭で考えることが出来なくなりました。」
人生は、思い描いた夢通りには、いきません。
いつも番狂わせがあり、何とか乗り越えてやれやれと思ったら、また予定外の大問題に対処する必要に迫られます。
でも、それが最悪かどうかは、わかりません。
降って湧いたような出来事の中においてこそ、生きる手ごたえがあるのかもしれない。
働き者のドクターが介護の重荷を担いつつ話す、その彼の表情を見ながら、私はなぜかそう感じたのでした。