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聖ノア通信 - 当病院の日々の出来事、ペットにまつわる色々な話をつづります -

素肌美人

いつもノラ猫の世話をよくされており、また気さくな笑顔で楽しい話をしてくださるマダム。

その日もカウンターでカメ子をつかまえて、話されていた。

「カメ子さんも、少しは化粧をしたらいいのに」

「え?・・、そうですか?(タラリ)・・・。」

「あなたはすごく奇麗だから、化粧したらもっと良くなるわよ。」

「ヘヘヘ、・・・ありがとうございます。」

・・・・・・・・・
隣の部屋で、マル子がその会話にじっと聞き耳をたてていた。

(カメ子は、化粧してるんだけどなあ・・・。マダムの言ってるのは、どういう意味かしら? )

・・・「ねえ先生、マダムがそんなこと言われてましたよ。私も何か言われそうだから、出て行かずに診察室で聞いてただけですけど、フフフ・・・」

「うーん、きっと化粧っけがない、素肌っぽい・・・ってことかな?
 良く言えば、素肌美人だということ、
 
 まあ率直に言えば、化粧の効果が見られない顔と言う事じゃなかな?」

「ちょっと、先生!」


いやいや、いろんな受け止め方があるだろうが、とにかく社会に出て楽しく働くと言う事は、柔軟で好意的で強か(したたか)でないと、翻弄されて波遊びができませんね。
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雛鳥の声

「先生、スズメの子がベランダにいたんです・・・」

残暑厳しい昼の頃、マダムが鳥の雛を箱に入れて持ち込まれた。
私は額に汗をにじませているマダムから箱を受け取ると、その中を覗き込む。

「ん? ・・・マダム、これはスズメじゃありませんよ、なんだろう・・・ムクドリかな?ヒヨドリかな?いずれにしろスズメより二周りほど大きな鳥だと思いますよ。」

「あら、スズメじゃないんですか?」

羽の色はスズメにそっくりですが、まるでサイズが大きすぎます。まだ雛独特の黄色い綿毛を生やしながら、すでにスズメより大きな体です。

「親鳥は来ていませんでしたか?」

「はい、大きめの鳥が来て、ピーピー盛んに鳴いていましたようですが、どこかに行きました。」

「じゃあ、それがお母さんでしょ。でも、この子は羽も短くて巣立ちには早すぎますね。巣から落ちたかも知れません。近くに巣がありませんでしたか?わからない・・・でしょうね?」

「ええ、分かりません。先生、どうしたらいいでしょう。」

「連れて帰ってベランダに置いといたら、お母さんが餌を運んでくれるかもしれませんが・・。」

そうは言ったが、お母さんについてまわって飛行訓練するにはまだちょっと小さすぎるようにも思われた。すぐに猫かカラスにやられそうです。

「先生、わたし出来ません。どうか助けてください。」

「・・・・」

・・・ということで、やむを得ず雛を引き取った。
幸い健康状態は良好で、ピーピーと小さな声で羽を震わせながら餌をねだってくれる。

私たちは練り餌を2時間おきに与えながら、雛鳥を見守った。

処置室のカゴに入れられた孤独な幼鳥。
何の力を持たず、全く無力な小さな雛だが、2時間ごとに大きな口を開けて餌を求めるのを見るたびに、そしてその口に練り餌を差し入れるたびに私たちの心は洗われるような気がしている。

放置されたら死ぬ雛、全く他者に依存するしかない命が、しかし私たちの心に何か新鮮なエネルギーを湧かせてくれる気がするのです。

大きな口を開けて、餌を待つ。

世の中に、強いもの賢いもの有益なものだけが幅を利かせていいわけではないことを、
ピーピーという声の中に謳われている気がした。
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600坪の真ん中に建てた理由

「よう、生きたですな、11歳になりましたもん。」

大きなコリーのタミーちゃん(仮名)が尿毒症で倒れ、点滴をしている犬の入院室での会話です。

飼主のムッシュSがしげしげとタミーちゃんを見つめながらそう言われました。

「前のコリーは『ワカ』と言いましたが、9歳で死んだですもん。それに比べれば、だいぶ生きた。」

「ムッシュには二代目のコリーでしたね。」

ケージの前にじっと立ち尽くし、グーグー寝ているタミーちゃんを見つめながら、ムッシュは話を続けます。

「あの犬も頭が良かった。あの頃ウサギも飼っていたんですが、座布団の四隅についている房がなんでか無くなるんです。

そのうち、仏壇に置いてある数珠の房も無くなって、『ははあ、こりゃあ、ウサギが食いよるばい』と気がついて、そいで昼は庭に放すようにしたんです。うちは庭が広かですから。敷地が600坪ほどありますもん。」

ムッシュのお宅はもともと古い農家で、今も米を作っているそうです。

「それで、夜になる前に、ウサギを小屋に入れんとイタチやらに殺られたら可哀想やから、連れ戻そうと思うんやけどこれがどこにおるか見つからんとです。

いくら探してもわからんとですよね。ところが
『ほんなら犬ば出して見れ!』
ちゅうてワカを放したら、すぐ見つけて教えてくれるんですよ。もう、出したらいつもすぐここにおるちゅうて、教えてくれてましたな。

「へえ、ウサギに食いつかないんですか?」

「いいえ、なんもしません。

 うちの家は敷地の真ん中にあるんですよ、 
『どげんしてこんな真ん中に建てるとや? じゃまやろうもん。端っこにしなっせ。』
と、親戚からだいぶ言われたらしいですが、親父は
『いいや、真ん中でいい。』ちゅうて、

『どうしてそんな真ん中に建てるとや?』

『真ん中やったら、火事んときでん延焼せんし、夫婦喧嘩してん隣ば聞こえんもん。』
ちゅうたらしいです、ワハッハ・・・。」

なかなか変わり者の、ユニークなお父さんだったようです。

「そいで、この犬に名前をつける時、女房が『タミー』にすると言うでしょうが。
『どうしてそんな名前か?』
聞いたら、
『あんたの名前が「たくみ」やから、「く」を抜いてタミーにする。
そしたら、あんたとケンカして腹かいた時も、タミー、タミーってこの犬を叱れるでしょうが。』やて・・・ハハハ・・・」

そんな話をしているうちに、マダムも静かに入院室に入ってこられました。そっとムッシュの後ろに立つと、寝ているタミーちゃんを、一緒にいつまでも見つめておられました。
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スタッフの仲

当院には看護実習生が時々来てくれますが、彼らが感想としてよく残してくれる言葉の中に、「スタッフ同士が仲が良いですね」と、言われる。

果たしてそうかどうか・・・

ある日、食欲低下のプードルが入院してきた。血液検査をしたが、夏の疲れか、お孫さんたちの襲来にくたびれたか、原因がよくわからない。

とりあえず入院点滴となった。
ところが点滴が進むと、とたんに動きが活発になり、ガリガリガリと穴でも掘るように前足を動かし始める。

「これこれ、そんなにはしゃぎまわると、点滴がはずれちゃうよ!おとなしくしなさい!」

無論そんな言葉が通用するはずも無い。

「先生!大変です!ジョイントがはずれて、血が逆流しています!」

夜9時近く、カメ子の呼び声に私は走り出す。すぐに処置をし、今度はもっとしっかり接続して、興奮しないよう入院室の電気を消した。

(さあ、おとなしくしてくれるかなあ?)

静かにドアを閉めた後、私は廊下にたたずみドアに耳をぴたっとつけて、プードルがまた暴れ出さないか、様子を探っていた。

10秒、20秒・・・あまりバタバタと跳ね回る音は聞こえてこない。
(大丈夫かな?)

と、思いながら耳をドアにつけている私と、待合室の受付から心配そうに見ているカメ子の視線が合った。

「大丈夫みたい・・・」

と、私が言おうとしたとき、カメ子が先に言った。

「先生、先生の体臭がドアについちゃいますから、いつまでも顔を密着させないで下さい。」

「むむむ・・・」

・・・こんな現実を、実習生は見ていないのです。
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治療風景

カムリちゃん、変わりないかな?」

ダックスのカムリちゃん(仮名)がリンパ腫の治療に来られました。抗癌剤を使い始めて、もう2ヶ月になります。

「はい、大丈夫のようです。」

ムッシュは抱いていたカムリちゃんを診察台に降ろしながら、そう言われた。マダムも傍で、微笑む。

「食欲はありますか?」

「はい、よく食べています。異常なくらいあります。」

「ハハハ・・・、そうですか。・・・うちの奥さんといっしょだな。」

「え? ハハハ、じゃあうちの家内もいっしょです。」

ムッシュが話を合わせてくれる。

「まあ、なんですって! あなた、今、なんか言ったわね。」

それでマダムがチラッとご主人を睨む。

そんな話をしながら、和やかに今週もカムリちゃんの血液検査をする。けれどそれはある意味緊張が続くリンパ腫の治療を、リラックスして進めていこうとする気遣いでもある。

現在では、犬のリンパ腫は75%の症例で、抗癌剤がよく効くといわれています。随分と良好な治療効果が得られるようになりました。
それでも、薬の副作用の発現にも用心しながら進めなければなりません。

「白血球数は多すぎるくらいありますね。貧血はみられません。
大丈夫そうですから、今日も治療を行います。では、もう一度お呼びするまでお待ち下さい。」

「わんわんわん!」

病院に来るとぐるぐる回って張り切るカムリちゃんが吠えて答える。
元気は上々。

私たちは、手早く点滴の準備を進めた。体重をもとに薬用量の計算をする。それからカムリちゃんを預かる。
カムリちゃんはムッシュといると元気だが、私たちがお預かりすると急にションボリとして、おとなしくなります。

スタッフが一人付き添いながら約一時間、点滴を行いました。
時々動き出そうとしますが、スタッフがあやすと、「仕方がないなあ」といった顔つきで、我慢してくれます。

ようやく最後の薬液まで、体に流れ込んでくれました。

「さあ、お待たせしました、お返ししますね。それと、家での飲み薬はもう終了します。注射だけ続けますから、次回は二週間後においで下さい。お疲れ様でした。」

カムリちゃんはまた張り切って、ムッシュの腕の中でワンワンと吠え出す。

そんな元気なカムリちゃんの姿は、私たちスタッフのエネルギーにもなります。

いつまでもはしゃぎまわる、カムリちゃんでありますように。
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妹さんと重ねて

若いマダムがその犬が抱えてこられた時は、ノンちゃん(仮名)はもう立てない状態でした。真夏の太陽が照りつけるお昼ちょっと前、硬い表情で中型犬の雑種を両手に抱いて、ご家族と一緒に入ってこられました。

ノンちゃんは10歳の女の子でした。

診察台に寝て荒い息をするノンちゃんはお腹がふくらみ、見た目にも腹水が貯まっています。
注射器で腹水を抜いてみると、赤い血が混じった腹水でした。すでにお腹に腫瘍か何か出来ているようです。

「すぐ血液検査だ!」

調べると、白血球数4万近くに増加し、ひどい貧血、そして重度の尿毒症が見られました。かなり重篤な容態です。

「三週間前までは、普通にしていたんですけど。」

ご家族は顔を見合わせながらそう言われます。

小学校一、二年くらいでしょうか、可愛い男の子がマダムにぴったり寄り添って、横から犬を覗き込んでいます。

「左の腎臓が縮んでいますね。・・・腎臓は働けてないようです。」

私は腫れたお腹の中をエコーで見ながら、腫瘍が絡み合って出血している様子を推測した。

「・・・あの、もう助からないかと思いますので、安楽死をしてもらえますか?」

マダムは、最初からあきらめていたように、そう切り出された。

私も治療の道筋を考えたが、この犬を苦しめずに今晩乗り越えきれる可能性は、少ないように思われた。

「尿毒症ですか・・・。妹の時と同じですね。」

マダムはそう言い、お母さんとお父さんもうつむいている。

「実は二年ほど前、妹が子宮頸癌で亡くなったんです。 まだ26歳でした。その時も最後は尿毒症と言われて。

『わたしが苦しむ時は、楽にしてね』と妹に言われたけど、そうもできず・・・、苦しそうなのを見守っていました。」

マダムもご家族もその時のことを思い出して、涙ぐまれている。

「だから、ノンちゃんは、楽にしてあげたいんです。この頃、この犬は、ふらりとうちを出て、隣の人の住んでいない方の家の庭でいつもじっと寝転ぶようになったんです。

あれ、なんでかなあ?・・・って。

そこは前は妹が住んでいたんですが、今は誰も使っていないんです。
妹は、この犬が大好きでした・・・。

そしてこの子は、妹の子供なんです。」

マダムは男の子の肩に手を置き、彼の目を優しく見つめながらそう言われた。

26歳の若さで幼い子供を残して癌に倒れなければならないとは、なんと心残りだったであろうか。

それ以来、いろんな思いを背負いながら、ご家族は暮らしてこられたことでしょう。

私はノンちゃんの最期を見守るご家族の皆さんの心中を察しながら、自分の仕事を果たしたのでした。
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覚えにくい薬

多くの皆様がご存知かと思いますが、薬にはたくさんの種類があり、またその名前もよく変わります。

たとえば点耳薬の一つにトリオティックという薬がありました。
しばらくしてそれが同系統のオトマックスに変わります。

ところが今回はさらにモメタオティックという新薬で、使うことになりました。だけど、その名前をみんなすぐ覚えられません。

「変な名前ですね。」

「うん、覚えにくいね。」

「あれ、ほら・・・新しい薬何だっけ・・・」

と、なかなか覚えられず不評だったので、私がポツリとひとこと言った。

さて、翌日の事。
カメ子が検査室でしゃがんで、流し下のひらきを開け、奥を覗き込んで片付けながらこう言った。

「先生、この前の覚え方、あれ案外良いみたいです。
 『もめた男チック』・・・で、私すぐ覚えました。」


・・・・きっと、カメ子も昔、いろいろ苦労したのかもしれない・・
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もしもし、はい、わたしでございます

「高齢者の所在不明が、やっぱり続出しているみたいだね。」

掃除の時間、そんな話をするとマル子がニヤリとして話し始めた。

「ヘヘヘ・・・、うちもですね、行方不明というわけじゃないですけど、祖母に成り代わったことがありましたよ。」

「えっ、どういうこと?」

「フフフ、もう十年以上前ですけどね、おばあちゃんが亡くなった時、死亡届を出した後で、葬式代を用意しないといけない事になったんですが、あれは、亡くなったら預金の引き出しができないんですよね。」

「そうそう、気をつけないといけないんだよ、あれは。」

「それでですね、誰だったかな銀行に下ろしに行って、本人でないといけないというので、確認の電話を家にかけてもらったんです。

最初は母がおばあちゃんのふりをするつもりだったんですけど、『何年(なんねん)生まれですか?』って聞かれて、しどろもどろになって、『あ、ちょっと待ってください』と言って、調べながら

『おばあちゃんに代わっててよ、あんた、しい』

『いやあ、あんたし』

と、受話器の前でみんなでドタバタして、結局妹がおばあちゃん役をやったんです。」

「え! 妹さんが?おばあちゃんの声を?よくできたねえ。そうとうかすれ声を出したのかな?」

「ヘヘ・・・、はい、そうしたらまた、『何どし生まれですか?』って聞かれて、妹が答えに詰まって

(なんて?なんて聞かれたと?)

(何どしやったと? おばあちゃん!)

(え? なにどしやったかね、えーとね、えーとね・・・)

と、目配せしながら冷や汗かいたり大騒ぎしながら、本人確認に答えたんですよ。」

ふーん、そういうこともあるんだろう。なにしろ、葬儀の時は全てが慌しく進行していくので大変ですから。

それにしても若い妹さんが急に振られた受話器を握って、いきなりおばあちゃんになりきれるというのは、

やっぱり女性の恐ろしさの片鱗・・・かしら?
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歌舞伎町の青春

「ハハハ・・・、わたしですか?・・・そうですね、若い頃は自由奔放に遊んで、無茶苦茶したかもしれませんね。」

ヨークシャーテリアのブンちゃんを連れて来られたムッシュが、目を細めてそう言われた。
ムッシュの若い頃と言うのは、もう40年くらい前の話だと思います。

「東京へ出てね、新宿で暮らしてたんですよ、ハハハ、歌舞伎町です、はい。怪しげなビルの中にある某店で、住み込みで置いてもらってね、夜働いて、昼は武蔵境のほうにある大学に通いました。

お店の経営者は中国人で、同伴喫茶だったんですよ、そこでボーイをしたり、暴力団が来たら警察に急いで走ったり・・・、恐かったですよ。
ビルの中にはキャバレーがあったし、すぐ隣は末広亭でね。

父親がいなかったから、自活しないといけないし・・・、授業は大体出たけど、いやあ代返も頼んだけどね。でも経済だから、理系ほどじゃないからね。

ただ、不思議と簿記だけはできてね、友人に教えてあげたりしたんですよ、何故だろうね、自分に合ってたのかなあ?ハハハ・・・。

経営コンサルタントの資格をとって、それから航空管制官の資格も取ってね。

え?若い頃の羽目をはずした話? それは言えないなあ。

これでも家に帰ると真面目で厳格な父親で通っているから、親父の威厳が無くなって子供たちに示しがつかなくなるから、ハハハ・・・それは言えません。」

ムッシュからは、おもしろそうな肝心な所をはぐらかされてしまったが、あの時代、歌舞伎町で生計を立てながら大学に通ったのなら、相当な苦労があったのは間違いないだろう。

今は悠々自適にされている多くの方々が、皆さんそれぞれの苦労談や青春物語を持っていることを、改めて感じたのでした。
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